NO NUKES PRESS web Vol.039(2022/08/11)

Posted on by on 8月 4th, 2022 | NO NUKES PRESS web Vol.039(2022/08/11) はコメントを受け付けていません

NO NUKES PRESS web Vol.039(2022/08/11)
 
Report:原発事故から11年 ー 「福島第一原発事故」はどこまで「自分の事」なのか
 
文:戸田裕大(首都圏反原発連合)
 
福島第一原発から排出された汚染水の海洋廃棄に向け東京電力が海底トンネルの工事を始める直前の2022年7月、福島県いわき市と双葉郡を取材した。
 

【NO NUKES PRESS web Vol.039(2022/08/11)】Report:原発事故から11年 ー「福島第一原発事故」はどこまで「自分の事」なのか http://coalitionagainstnukes.jp/?p=14990

 
 

-断片1.「絵葉書みたいかもしれない」-
 
アラン・レネ監督の『夜と霧』<参考1>は1956年に公開された、ナチがアウシュヴィッツのユダヤ人強制収容所でユダヤ人を虐殺した事実を開示した短編ドキュメンタリー映画だ。撮影当時のアウシュビッツの映像のカラーフィルムと、戦時中のモノクロのニュースフィルム・写真を対比させ俳優のミシェル・ブーケによるナレーションが被せられたこの作品で、現在のアウシュビッツの火葬場が映し出された際、ナレーターはこういう。
【火葬場はちょっと絵葉書みたいかもしれませんね/今日も観光客はその前で写真を撮っています】
 
 
-断片2.「信念と覚悟」-
 
 
首都圏反原発連合は2011年10月に発足、首相官邸前抗議は2012年3月に始まり、2021年3月末で活動休止に至った。その活動を賞賛する方に「その信念、その覚悟が素晴らしいね」という言葉をいただいたことがある。「信念と覚悟」とは何なのだろうか。目に見える物質ではないそれらは、持とうとして持つことができたり、「私(たち)には信念と覚悟があります」と自らいえるものなのだろうか。ある「企業向け研修」を行っている日本の企業のwebサイトの、大手金融持株会社の執行役員・経営企画部長を務めた「講師」による「管理職に求められる能力について」というページの「6.『経営リーダーシップ力を鍛えるポイント』」(https://www.insource.co.jp/contents/ando_mgr_skill6.html)には、次のように書かれている。
【皆さんは、リーダーに威厳のようなものを感じたことがありませんか。組織には、リーダーである”長”がいて、次席がいます。この二人を比較しても、”長”と次席では威厳がまったく違うのです。「この違いは、いったい何だろう」と思わず考えさせられます。実は、この違いは、リーダーとしての責任の重さと、これを全うしようとする信念と覚悟の違いから来ているのです。
実際、この信念と覚悟を備えていない者がリーダーになると、組織は悲惨な状態になります。組織は方向性を失い、パフォーマンスが低下します。その建て直しにも多大なエネルギーを必要とします】

 
 
-「自分の事として感じている」感覚-
 
 
今年、2022年の2月下旬、私は映画『草の葉』(ホン・サンス監督・2018年)<参考2>を数年ぶりに観直した。その頃は、ロシアが2月24日にウクライナへの軍事侵攻を開始し、(ロシアの軍事行動でいうと)チェチェン紛争やグルジア戦争の際と異なり、日本のマスコミ報道はこのウクライナへの侵攻の報道一色となりかけていた。2月下旬といえば3/11が近い時期でもある。「東日本大震災、福島第一原発事故から11年目の311」という趣旨の報道、特集記事はあるにはあったが、全体的にはかすんだものになっていた、といわざるを得ないだろう。

私は首都圏反原発連合のスタッフの一員として活動中止までの10年の間、「福島を忘れない」と主催の集会のサブタイトルに掲げ、ツイッターなどのSNSに発信し続けた。だから、片時も「福島の事故を忘れたことはない」、わけではない。時が経つにつれ熱意と記憶の量は波打ち上下し、東京オリンピックに向け事故などなかったかのように仕向けられた国策的な風潮に一部心身が同化させられた感覚に抗いながらなったこともある。侵攻されたウクライナの人々の苦難、無論痛ましく悲しい。が、故郷や我が家を追われ、人生の断絶が起こされた、そんな「戦争状態」、それは自分の住む国で、わずか11年前から福島であるのではないか。そういう何人かの発信をこの時期目にした。
 
『草の葉』はここ数年の他のホン・サンス作品と同様に、多重的な構造を保有している。小さなカフェの窓際のテーブルに座りアルム(キム・ミニ)は客の会話を盗み聞きし、MacBookに向かい文をつづり続ける。あるテーブルでは友人の女性が自殺した原因について女性が男性を激しく責め男性は反論している。座長と揉めて劇団を辞め文無しで自殺を図ったという初老の名優は、後輩らしい女性の家の空き部屋を間借りさせてくれないかと頼むが断られている。アルムが盗み聞くこういった会話は、現実であるようにも、または昼と夜で別の日であるかのようにも、また部分的に、あるいは全てがアルムの創作のようにも思えるよう構成されている(店外にある、植木鉢の「草の葉」は夜になると日中と同じ日とは思えないほど成長している。日中に会話したある人物は夜にアルムに話しかけてくるが、同じ日であるとすると矛盾するような話し方をする—といっても、「酔っているから」とすればその矛盾も起きないような、多義性もそこにある)。
 
友人の自殺について揉めていた男女は、思いを吐き出したことにより、互いへの愛をいつの間にか語り合っている。アルムによるナレーションが流れる。【彼らは多くのことを互いに話した/そう、たくさん/幸せになるために、死人を利用してまで?/確かに生きることは続けなければならない/現在が一番大切でしょう/あなたたちはいつか死ぬ/死んだ友人が近くにいても自分の死を全く考えないとは/だから呑気でいられるんですね/かわいく、呑気で、楽しく生きていってね】
 
報道される、与えられる、人間ドラマの情報量が多いと、他国の人々の、死を、苦難を、「自分の事として感じている」ような感覚を得やすくなる。福島第一原発事故の、原発の周辺地域の報道は毎年3/11が近くなると増加するとはいえ、総じて減少した。私は、ウクライナ侵攻の報道増加の際に何人かのアジテーション気味の発信により福島の「戦争状態」を思い出させられた。その時期に聞いた【死んだ友人が近くにいても自分の死を全く考えないとは/だから呑気でいられるんですね】というモノローグは、「自分の死」の考察にもっと時間を割こう、「福島第一原発事故」がどこまで「自分の事」なのか、もう一度考えてみる時期だ、と思わせるに十分なインパクトを持つものであった。そして約3ケ月後の6月、幸運にも、首都圏反原発連合の一員として7月19日「認定NPO法人 いわき放射能市民測定室」の「たらちね海洋調査」に同行し、福島第一原発から海上で1キロ地点まで行ける、というお話があり、前日のいわき市小名浜、アクアマリンパークにおける「海の日アクション2022 汚染水を海に流すな!〜海といのちを守るパレード〜」(https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=552343103104973&id=101823238156964&m_entstream_source=timeline&ref=page_internal)から参加することを決意した。
 
 
-「いわきは原発立地自治体ではない」-
 
 

【特に私なんて、もともと、出身もここ、いわき市で小名浜ですので、この辺の人にとってみれば原発というのは我々とはちょっと遠い存在だと思っていたんですよね。原発の立地自治体の方々にとってみれば身近な存在で、いろんな注意する点とか心得ているところがあったかもしれませんけど、いわきにとってみれば、この原発の事故があって、我々に危険が及ぶとは、本当に夢にも思っていませんでした】
柳井孝之さん(小名浜機船底曳網漁業協同組合専務理事)
「海の日アクション2022 汚染水を海に流すな!〜海といのちを守るパレード〜」集会より。
 
福島県を地図でその周辺の都県と比較するとその大きさに驚かされるのだが、この大きな福島県は2つの山地(阿武隈高地と奥羽山脈)によって3地域に区分され、東から順に「浜通り」、「中通り」、「会津」となる。いわき市、福島第一、第二原発がある双葉郡、相馬市、南相馬市、相馬郡が「浜通り」にあたる。「いわき市の人にとっては原発は遠い存在」、いわき市は原発立地自治体ではない、という認識は地理を知らない他の地域に住む者にとっては意外なものになりえて私にもそういうところがあったのだが、それは大雑把に、福島県を「浜通り」、「中通り」、「会津」に分け、同じ「浜通り」どうし、と地図を見ていた故になのであろう(地図上で測ってみたところ、アクアマリーンパークから福島第一原発まで直線で約50kmだった)。

「海の日アクション2022 汚染水を海に流すな!〜海といのちを守るパレード〜」のスタート前の集会の最後にパレードでのコールの練習があった。アクアマリーンパークは東日本大震災の津波で一帯が流された後一からつくられた大型商業施設に隣接しているのだが、真夏の祝日の日中、ということで見たところ中学生くらいの方々がたくさん遊びに来ていた。自分の両親・祖父母の年齢にあたる人々が「汚染水流すな 漁業を守れ 海を汚すな こどもを守れ 未来を守れ」と声をあげていたのだが、その中で自転車に乗った中学生と思われる男性が一人「未来を守れ」と呼応して声を出した。それは「最初は茶化すつもりだったのが、いっているうちに本気でそうしてくれ、守ってくれと思えてきた」かのようなやや奇妙な、同時に微笑ましい響きになっていた。このパレード前の出来事が象徴していたように、首都圏や他の地域のデモで経験したような沿道からの「白い目」がこのパレードにはなく、飛び込みで参加するような積極性こそないものの、「緩やかな興味と賛同」がすれ違う、また信号待ちなどで立ち止まる人々から感じられた。かつて「いわき市の人にとっては原発は遠い存在」、そんなに「自分の事」ではなかったのかもしれないが、少なくとも「汚染水海洋放出」に関しては「自分の事」になっている、そういう感触を得たパレードだった。
 
 
-「絵葉書みたいかもしれない」-
 
 
パレード翌日の7月19日、『認定NPO法人 いわき放射能市民測定室』の「たらちね海洋調査」に同行、乗船した。首都圏反原発連合「NO NUKES PRESS web」での「海洋調査」参加報告は、Misao Redwolfによる2018年のもの(http://coalitionagainstnukes.jp/?p=11756)がある。

その時は波が高く座る場所がない漁船でハードだったというが、今回は比べて波もおだやかで、船酔いもほぼなく済んだ。9:40の出港後、船は福島第一原発から東に1.0km沖に着く。自分自身に限ると、これまでで最も近く福島第一原発に近づいている。船に同乗している人々はカメラ等のシャッターを切り、私もスマートフォンで写真を撮る。首都圏反原発連合のツイッターアカウントでツイートするため写真を撮ったのだが、撮る立場での経験は少なく写真の技術には全く自信がない。暑さ、慣れない船上であること、などと合わさって、うまく撮れているか判断できない。しかし私は、最低限必要な枚数を撮ると、スマートフォンを持つことを止めた。『夜と霧』の【火葬場はちょっと絵葉書みたいかもしれませんね/今日も観光客はその前で写真を撮っています】というナレーションを思い出していた。福島第一原発は当然撮るべき、この距離で見るチャンスは滅多にない被写体であった。が、何度もタップすることにより「観光客」になり、「自分の事」として感じるチャンスを逃してしまう気がしたのだ。
 
その後、海洋調査に同行した方々のうち何人かの方とともに、車で双葉郡の、
【JR常磐線夜ノ森駅→大熊町役場→役場近くの「大熊町特定復興再生拠点区域」→大野駅→双葉駅→東日本大震災・原子力災害伝承館】といわき市の「認定NPO法人 いわき放射能市民測定室 たらちね」<参考3>に向かう一員となった。
 
 
-断片3.常磐線開通と東京オリンピック-
 
 
福島第一原発事故の影響で不通となっていた、夜ノ森駅、大野駅、双葉駅が含まれるJR常磐線の富岡―浪江間が再開したのは2020年3月14日のことだった。この再開は当時の安倍総理により、2020年に開催予定だった東京オリンピックに間に合わせるために「政治決定」されたものであることが知られている。
【全線開通の時期が未定であった、JR常磐線についても、福島の地元の皆さんの強い期待に応えて、東京オリンピック・パラリンピックが開かれる前の、2019年度中に、全線開通を目指すことを決定いたしました】
(2016年3月10日 安倍内閣総理大臣記者会見 https://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/PI/20160310.O1J.html より)
 
null
 

夜ノ森駅東口近く、出入りができない場所で柵の間から腕を伸ばし同行者が測ったところ、ガイガーカウンターが毎時6.09μSvというとてつもなく高い数値をだした。
 
それぞれの駅前で、私たちが滞在している間、「通行人」は皆無だった<参考4>。
 
のちに、安倍総理の後を継いで菅義偉氏が総理大臣に就任し、新型コロナウイルスの流行の影響により東京オリンピックは1年後に延期され、内閣閣僚の言葉から「復興五輪」が消え「コロナ克服五輪」となっていったのはご承知の通りである。
(このパラグラフ「-断片3.常磐線開通と東京オリンピック-」の写真は全てMisao Redwolf 撮影)
 
 

-「原子力災害」という「新しい言葉」-
 
 
「東日本大震災・原子力災害伝承館」は福島イノベーション・コースト構想<参考5>事業の一環として、総事業費53億円の国の予算で賄われた施設だ。毎週火曜日が休館日で、残念ながらこの日は入館できなかった。現地に足を運び、改めて気になったのは「原子力災害」という一語である。「伝承館」が開館した2020年9月当時、館名の「災害」に東電や国の過失を隠す意図が感じられるので、「原子力災害」ではなく「原子力事故」とすべき、という意見が見受けられた(ツイッターで「原子力災害 原子力事故」で検索するとそれらはまだ残っている)。「日本原子力文化財団」のwebサイトの「よくあるQ&A 「原子力事故」と「原子力災害」の違いは? 」のページには以下のようにある(https://www.ene100.jp/bousai/06-008.html)。
【原子力発電所の中で何らかの異常が発生したら「事故」です。
一方、「原子力災害」は、さらに進んで、事故などで原子力発電所の建物が壊れるなどして外部に放射性物質や放射線が放出され、周辺の住民や環境に被害を与えることです。
原子力発電所から放射性物質が外にもれた場合、放射性物質が衣服や皮膚についたり、食べ物に付着して体内に取り込まれたりして被ばくにつながります。 原子力災害では、このような「被ばく」から身を守る対応が必要とされます】

 
このページの定義でいえば、【「原子力災害」は、事故などで原子力発電所の建物が壊れるなどして外部に放射性物質や放射線が放出され、周辺の住民や環境に被害を与えること】、なので、「原子力災害伝承館」と名付けられるのは一見おかしくないようにも思える。「原子力」も「災害」も昔からある単語で、「原子力災害」は新語ではない(「原子力災害対策特別措置法」は1999年に制定されている)。が、福島第一原発事故発生から数年、メディアで多く流れたのは「原発事故」であり、「原子力災害」は専門用語としては存在していても、「原発事故」と比べれば一般には流布していない、耳慣れない言葉である。「原子力事故伝承館」でも「原発事故伝承館」でもなく、「原子力災害伝承館」という(一般には耳慣れないという意味で)「新しい」名前が付けられることにより、あの、福島だけではなく、多くの東日本の人々が恐怖した「原発事故」の日々は一先ず終わった、かのような、「すり替えの効果」が起こされた、とも考えられるのだ。「大熊町教育委員会」が発行した「学び舎 ゆめの森」という福島イノベーション・コースト構想事業の一環のパンフレットにも、木村政文大熊町町長の言葉として【東日本大震災と原子力災害で被災した当町に、教育施設が戻るのは12年ぶりです】と書かれている。
国が「原発事故」ではなく「原子力災害」というようになったから、自分も「福島を忘れる」ようになり、「自分の事」ではなくなった、というとそれは酷い責任転嫁だ。が、「福島第一原発事故」を終わったこと、なかったことにしたい緻密な戦略が取られているとしたら、反原発運動に携わっていた自分でさえそれに飲み込まれた、というのは否定できないところである。
 
 
-毎日死に近づいている人間の「信念と覚悟」-
 
 
『草の葉』の劇中において「観察者」アルムは特権的な立場にいて、彼女が他人を批評するようには、誰からも批評されないように見える。だがラストショットで、カフェから、そこに通じる、アルムや他の人々が歩いた路地から、アルムもカフェにいた他の人々も全て消え、無人となる。【自分の死を全く考えないとは呑気ですね】とモノローグで語っていたアルムも、フィクションの終了と同時に姿を消す。
私はこれからも、片時も「福島を忘れない」、ことはなく、忘れたり思い出したりするだろう。これから、年齢が寿命に近づくにつれ、2011年から、福島と送電線でつながった首都圏で何を考え何をやっていたか、それが福島とどう関係していたのか、後に残したい気持ちは強くなるだろうか。「福島第一原発事故」が再び「自分の事」になるのか。「自分の事」になったかどうかなど「信念と覚悟」と同じように数値化はできなく、ここから変わった、という線引きはできない。その答えは内側で、生きて脳が働く限り、死を迎えるまで、変化し続けるだろう。
 
 
 
*写真は、本文中記載以外は戸田裕大撮影
 
<参考1>
『夜と霧』について
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%A8%E9%9C%A7_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
 
<参考2>
『草の葉』について
https://en.wikipedia.org/wiki/Grass_(2018_film)
https://filmex.jp/2018/program/specialscreenings/ss09
https://apeople.world/ja/culture/movie_035.html
 
<参考3>
『認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね』公式HP
https://tarachineiwaki.org/
『認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね』公式Facebook
https://www.facebook.com/tarachineiwaki/
【NO NUKES PRESS web Vol.008(2018/08/28)】Report:原発事故から7年 – 福島巡礼『いわき放射能市民測定室たらちね』
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=11297
【NO NUKES PRESS web Vol.027(2020/03/26)】Report:原発事故から10年 – 子どもたちの通う道をととのえるために –
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=13852
 
<参考4>
原発事故・避難区域の現状「福島県の今について最も関心があること」 (2022年3月1日)
https://www.minpo.jp/news/moredetail/2022022894824
原発避難区域 度が過ぎる復興事業 (2020年2月6日)
https://note.com/seikeitohoku/n/nca977b2b9f55
 
<参考5>
福島イノベーション・コースト構想
webサイト https://www.fipo.or.jp/
MCAN podcast Vol.7 (ゲスト: 馬場由佳子〈くまべこ・子どもを守るママの会 共同代表〉&鈴木薫〈認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね・事務局長〉)Part 1-27:08頃から

 
 
 
 
 
 
 
 
 

« 首都圏反原発連合:ステートメント【安倍晋三氏の国葬に関して】
0311★首相官邸前抗議 »