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NO NUKES PRESS web Vol.008(2018/08/28)
Posted on by 反原連 on 8月 26th, 2018 | NO NUKES PRESS web Vol.008(2018/08/28) はコメントを受け付けていません
NO NUKES PRESS web Vol.008(2018/08/28)
Report:原発事故から7年 – 福島巡礼『いわき放射能市民測定室たらちね』
文:Misao Redwolf(首都圏反原発連合)
福島原発事故から7年以上の月日が流れた。子どもたちの未来を守るために、放射能測定や甲状腺検診などの活動を続ける、福島県いわき市にある『認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね』を訪ねた。
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【NO NUKES PRESS web Vol.008(2018/08/28)】Report:原発事故から7年 – 福島巡礼『いわき放射能市民測定室たらちね』 pic.twitter.com/qF6NhrICF2 http://coalitionagainstnukes.jp/?p=11297
【NO NUKES PRESS web Vol.008(2018/08/28)】Report:原発事故から7年 – 福島巡礼『いわき放射能市民測定室たらちね』 pic.twitter.com/qF6NhrICF2 http://coalitionagainstnukes.jp/?p=11297
―序―
私にとって福島県いわき市は、東北、あるいは縄文世界への入り口であり、聖地だ。初めていわきに行ったのは30年ほど前の夏だった。当時のルームメイトのいわきの実家を訪ね、遊びに行った。その後いわきとの縁は途切れたが、2007年頃に復活し年に数回、それぞれ数泊し滞在してきた。いわきに行くたびに、今では「認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね」(以下「たらちね」)の事務局長を務めている鈴木薫さんと、色々なところ、とりわけ神社や史跡を散策してきた。忘れてしまうくらいに色々なところに行ったので、私はいわきの人間ではないが、いわきの人よりもいわきの歴史的価値を良く知っているという小さな自負がある。
2011年3月11日14時46分 ー 私は、鈴木薫さんと電話で話していた。福島が揺れ始めて数秒後に東京も揺れ始めた。私たちは揺れ始めても話しを続けたが、電話の向こうから棚の食器がぶつかり合う音が聞こえてくると、鈴木薫さんが「ちょっと棚をおさえてくる!」と電話を切った。福島第一原発は爆発し、日を追うごとに世間では、これは地震と津波という天災だけではなく、未曾有の人災である「原発災害」であることが認識されてきた。鈴木薫さんとは頻繁に連絡を取り合い、私たちはいわき市でデモを数回開催し、地元のママたちと一緒に、市長に対し福島第一・第二原発の廃炉の申し入れもした。2011年秋の「たらちね」の立ち上げから鈴木薫さんは以前よりも忙しくなり、私も「首都圏反原発連合」を結成し忙しくなり、以前のように頻繁にいわきを訪れることができなくなった。
―「2018年度 たらちね総会」へ―
2018年6月16日、私は久しぶりにいわきを訪れた。翌日の「たらちね」の総会への参加と「たらちね」取材のためだ。前回のいわき訪問は鈴木薫さんが事務局を務める「縄文の会」での史跡散策ツアーに参加するためで、それ以来約1年3ヶ月ぶりとなる。今回、当初は「たらちね海洋調査」に参加する予定だったが、残念ながら悪天候のために日程延期になった。海洋調査についてはまた取材の機会を作りたい。午後3時にJR泉駅に到着した私を、鈴木薫さんが出迎えてくれた。その足で、私たちと「たらちね」の放射能測定アドバイザーの遠藤藤一さん、「たらちねクリニック」の藤田操院長とで、比較的近場の古墳や史跡巡りをした。
翌日午前10時、いわき市小名浜の某会場にて「2018年度たらちね定期総会」が始まった。理事やスタッフや地元の支援者の方々が参加される中、私はオブザーバー参加だ。理事長の織田好孝さんが、「いろんな抵抗にあいながらやってきた」と挨拶の中でおっしゃっていた。その言葉の重さは聞く人によって違ってくるのかもしれないが、この短いセンテンスの中には、数え切れない思いがあるのだろう。来賓挨拶では、いわき市長からのメッセージを代理の市役所職員が代読した。「たらちね」は行政がやらないことを先陣切ってやりながらも、行政と正面からぶつからず連携してやっている。こういったしなやかなしたたかさは、「たらちね」の実力のひとつだ。
総会では延々と会計報告がなされた。本当にキチンと運営されている。市民グループとして始まった「たらちね」は今や認定NPO法人となり、動くお金も大きい。総会は淡々とすべきことを成すといった感じで、1時間半ほどでサラッと終わった。そしてみなさん、それぞれ挨拶をしながら、それぞれの車に乗ってサクサクと帰路につく。しかしその背景には、子どもたちの未来を守るために、できうることを最大限にやってきた大人たちの努力が山積みになっているのだ。およそどの団体もそうであるように、スタッフの入れ替わりや運営資金の苦労もあっただろうし、加えて、福島第一原発から近い、原発事故の被災地でもあるいわき市での活動には、よそで生活する者にはわからない苦労があったはずだ。
―認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね―
「たらちね」については、すでに多くのメディアが報じており、とりわけ海外からの取材も多く認知度も高いのだが、ここでも改めて紹介したい。2011年、いわき市議の佐藤かずよしさんが、食品などの放射能汚染を懸念し、子どもたちの未来を守ろうと、市民放射能測定室の設立を呼びかけたのが始まりだ。それに鈴木薫さんらが呼応し、2011年11月13日、市民グループによる放射能測定室が開所した。当時、ちょうど私がいわきを訪れていた時に、佐藤かずよしさん、鈴木薫さんと一緒に契約する物件を内見に行ったことは、今でも昨日のことのように覚えている。「たらちね」は今年で開所から7年になる、国内で最も信頼のおける放射能市民測定室である。
「たらちね」の事業は食品や土壌の放射能測定から始まったが、そこに留まらないのが「たらちね」のバイタリティだ。最初はセシウムなどガンマ線のみ対応の測定器だけで活動していたが、これだけでは汚染の実相を知ることができないという壁にぶつかり、トリチウムやストロンチウムなどベータ線に対応する測定器を導入し、ベータ線ラボを開設。ベータ線の測定は色々な意味でハードルが高く、市民の測定室でベータ線の測定をしているのは「たらちね」だけだ。また、食品や土壌の測定だけでなく、人体の放射能測定をするホールボディカウンターも設置している。2013年からは、各地を巡回する甲状腺の検診活動を開始。この検診活動が発展し、昨年2017年5月には「たらちねクリニック」を開設するに至った。市民の活動でこれだけの事業拡大をしているのには、目を見張るものがある。
「たらちね」事務局長の鈴木薫さんは語る。「事業を拡大することが目的なのではなく、私たち自身が被災者で、被災者が必要であると思うことを、やむにやまれぬ状況の中でやってきました。その結果としての事業拡大なのです。最初は素人集団で、ガンマ線だけ測っていましたが、いくら一生懸命にガンマ線を測っても、測ることができないために知ることができない核種があって、それを見過ごし知らん顔をして『測定室です』とは言えなかった。それで、ハードルの高いベータ線の測定も始めました。『見えない・におわない・感じない』放射能の話題は分断を招きます。測って数値を可視化し、議論できる材料をテーブルにあげることで、分断を緩和できます。原発事故で失ったものは多いけど、これ以上失わないために、放射能汚染の実相を知り、気をつけ、予防していくということが大事なのです。」
―「たらちね」の事業―
開所以来、「たらちね」は子どもたちの未来を守るため、出来うる限りのことを模索し実施してきた。新しい事業を展開するたびに、機材の購入などに大変な額の資金と、新しいスキルが必要になる。こうしたハードルを、理事会や事務局とスタッフが一丸となり飛び越え、道を切り開いてきた。また、彼らの思いと行動が多くの人々の心に響き、全国からの善意の寄付や助成金が寄せられ、運営が維持されている。「たらちね」の人々の働きと全国からの善意があり、「たらちね」は存在している。子どもたちの未来を守りたいという思いが、全国、全世界からここに寄せられているのだ。そして、その期待に「たらちね」はしっかりと答えている。「たらちね」の多岐に渡る事業を、総会の資料を参考に簡単にまとめてみた。
<放射線の測定事業> *測定料金は安価に設定されている。
●全身放射能測定(セシウム134・137測定)
ホールボディカウンターによる、人体の放射能測定。開所から2017年度までの総受検者数は4,222人。受検者には原発作業員や除染作業員、警備従事者も多くいる。
●食材放射能測定(セシウム134・137測定)
2017年度の総測定数は1,177件、うち750件は食材。これらのデータを集めることが「気をつけて生活する」ための知識となる。
●土壌放射能測定(セシウム134・137測定)
2017年度の測定件数は199件。原発事故から7年が過ぎた現在も、高線量の地域が点在することが確認できる。
●資材・植物放射能測定(セシウム134・137測定)
2017年度の測定件数は121件。薪ストーブの灰や苔など、県外のものでも高線量のものがあった。
●Cs 137 リンモリブデン酸アンモニウム吸着法(セシウム134・137測定)
これは、水道水や海水などの測定に役立つ方法である。通常の測定作業と並行し、測定値の算出法に間違いがないか確認を実施している。
●ストロンチウム90とトリチウムの放射能測定
専門家でも測定が難しいとされる、ベータ線核種であるストロンチウム90とトリチウムの測定。これらを測定することにより、この危険な核種が身近に飛散していることがわかった。
●たらちね海洋調査
2015年より、2ヶ月に1回のペースで、東京電力福島第一原発の沖1.5km地点でのサンプリングを実施。海を守り、子どもたちに確かなデータを残す事業。
●児童施設ダストサンプリング測定
いわき市教育委員会と学校の協力をえて実施。測定予定220校のうち、138校が終了。
<測定データの公開と広報>
●HP、Facebookでの測定結果の公開
「毎月の測定結果」「解消調査」「海砂の測定結果」を公開している。
(日本語)https://tarachineiwaki.org/radiation/result
(英語)https://tarachineiwaki.org/english
●通信の発行
1年に2~3回のペースで「たらちね通信」を発行。インターネットを利用しない人々への発信に役立っている。
●専門家による勉強会・講演会の開催
人々が放射能のことを正しく知り、日々の暮らしに役立てることができるように、年に数回の講演会などを開催している。
●見学者の受け入れ
国内外からの見学者の受け入れを行っている。2016年度以降は海外からの取材や研究目的での来所が多く、世界各国の関心の高さが伺える。
<放射能から人々の健康を守る事業>
●たらちね甲状腺検診プロジェクト
2013年から、各地を巡回し、子どもたちの甲状腺検診を行っている。2017年1月~2018年3月の受検者は1119人であった。(内訳:県内・546人/県外・573人)
●たらちね・こども保養相談所
『認定NPO法人 球美の里』と連携し、保養の受け入れ、送り出しを行っている。2017年度は16回の保養を実施し、子ども534人、保護者127人、合計661人の受け入れを行った。
<たらちねクリニック>
2017年5月オープン。診療科目は、内科・小児科。2017年6月~2018年3月の延べ利用者数は921名。通常の保険診療に加えて、子どもたちが無料で受けられる人間ドック「こどもドック」を運営。被ばくという観点で健康を総合的に診られる、日本で唯一のクリニック。
<人々との連携>
●地域のママ活動との連携
「TEAMママベク子どもの環境守り隊」への測定機器の貸し出しと、土壌測定の協力をしている。測定によりホットスポットが発見された場合、市教育委員会が除染を行っている。
●チャリティコンサート
「たらちね」支援者である土田英順さんによるチャリティコンサートの開催。
―ひとりの意識がかわればそれは連鎖していく―
総会の翌日、取材のためにいわき市小名浜にある「たらちね」を訪れた。「たらちね」のスタッフのほとんどは、子どもがいる女性だ。その中から、ガンマ線・ベータ線の測定担当の木村亜衣さんにお話しを伺った。木村さんは原発事故から2年後に、求人広告を見たことがきっかけで「たらちね」に入所した。入所当時は放射能についての知識もほとんどなく、事故から2年経ち放射能のことが忘れられてきている空気に流されていたと言う。原発事故直後に、いわき市内で自分も子どももマスクをせず外出していたことを、今では「その頃の自分は無知だった」と語る。放射能測定の仕事を始めてしばらくは、放射能に対してまだ漠然としたイメージしかなかったが、初めて食品から放射能が検出されたのを見た時、言葉にならないようなカルチャーショックを受けたそうだ。
食品の放射能の数値が目の前で可視化されたことで、漠然としていたものがクリアになり意識が変わった木村さんだが、今度はこれもあれも食べられない、どう暮らせばいいのかと考えていた時に、他のスタッフから「できることからやればいいよ」とアドバイスを受けた。例えば、水やお米は気をつけるなど、気をつけられる範囲で気をつけていくこと。このアドバイスで、いくらか気が楽になったと言う。それと同時に、聞かれたら答えるという具合の控えめな姿勢で、日々の暮らしの中でさりげなく、家族や身近な周囲の人たちに放射能のことを伝えはじめた。そうするうちに、自分の意識が変われば、周囲の人の意識も変わるということを実感した。
ある時、木村さんは自分の母親に、タケノコは放射能が検出されているので食べないほうがいいという話しをした。それを聞いていた娘さんが、友達のお弁当にタケノコが入っていたけど、自分はもらって食べなかったと言ってきた。また、娘さんが友達に海水浴に誘われた時も、木村さんは本人の意思を尊重するために止めなかったが、娘さんは自分から行かないことを選んだそうだ。木村さんは決して自分の主張を押し付けないが、子どもが自分で判断しているのだ。「親の意識が変われば、子どもの意識も変わってきます。ひとりの意識が変われば、それが連鎖していくんです。そこで何かが守られていくのだと思います」木村さんは気負うことなく、ゆっくりと淡々と語ってくれた。
―たらちねクリニック・心と身体のケア―
「たらちね」を訪問するのは久しぶりだ。見慣れたオフィスだが、部屋の数が増えている。1年前に開院した「たらちねクリニック」だ。オフィスからクリニック受付の部屋につながり、そこから診察室に入る。診察室の奥にもスペースがあり、子どもが遊べるように様々な工夫がされている。これだけの事業展開ができているのは、全国からの厚い支持のあらわれとも言える。「たらちね」では2013年から子どもの甲状腺検診を巡回で行ってきたが、日常的に開かれているクリニックの必要性から、2017年5月にこの「たらちねクリニック」を開設した。診療の合間に、首都圏反原発連合の官邸前・国会前での抗議デモにも参加したことがあるという、藤田操院長にお話しを伺った。
原発事故の時、藤田院長は東京の病院に勤務していた。しかし、2011年12月の政府による「収束宣言」を聞き、これでは福島の人たちが捨てられるのではないかと思い、翌年、福島県の平田村に移住し勤務医になる。その後「たらちね」と出会い、子どもの甲状腺検診プロジェクトに参加した。そうするうちに、「たらちね」がサポートしている保養施設「沖縄・球美の里」のある久米島に移住し、保養先での検診を行っていたが、「たらちねクリニック」開設に伴い、再び福島に戻ってきた。こうしてみると、数年間で何度も環境が激変しているのだが、ご本人曰く、2012年に東京をでてからあまり無理をしたという感じもなく、自然な流れでここまできたという。
クリニック開院前、甲状腺検診の巡回をしていた時に、藤田院長がショックを受ける出来事があった。小学生の子どもが「わたし、外遊びしてないからね」と言って検診のベッドに横たわった。外遊びが悪いと思っているのだ。これは被ばくの心配がなければ、子どものするような心配事ではない。普通、子どもは外で走り回っているものだ。また、夫婦間での被ばくについての理解の違いで、けんかになったり離婚することもある。すべて放射能汚染の心配がなければおこらない摩擦だ。こういった特異な環境や、家庭内の空気を子どもが感じ、心の成長に影響があるのではないかと考えるようになった。身体だけではなく、子どもたちの心のケアも必要だということに気づいたという。加えて、子どもの心のケアをすることは、親の心のケアにもなる。これを受けて「たらちね」では、こどもマッサージと箱庭療法も取り入れている。
―「たらちね」という活動―
「たらちね」は被曝後の世界で、放射能を数値として可視化し汚染の実相を知ることで、予防可能な貴重な時間を有効に使い、未来に繋げている。事務局長の鈴木薫さんは語る。「『たらちね』という活動をしてきて、本当に色んなことがみえてきて、色んなことを山のように思うんですが、私たちが何のために生きているのか、どこへ向かえばいいのか、問題をどう平和的解決するのかをよく考えます。やはり、社会全体として、子どもたちが健康でのびやかな心ですくすくと育ち、地球環境と調和して生きるということを目指すのが、全ての解決策ではないかと思います。」
「私たちは誰がどう考えても『まっとうだろう』というところの道筋を歩いてきましたが、一方で、市民がここまでの活動をやらなければいけないのはおかしいとも思います。原発に無関心だった自分たちにも責任がないわけではありませんが、政府は今でも原発の再稼働をしています。また必ず事故があることはわかっているのに。」
藤田院長に現政権のことをたずねてみた。「早く辞めてもらいたいですね。というか、もう5回くらいは政権がひっくりかえるようなことをしているのですが。現政権はオヤジ的政権で、これに対抗するには母性的なやりかたに可能性があると思うんです。『たらちね』は母性的運動。オヤジ政権とは土俵が違うこともあり、絶対に負けないんです。『たらちね』はいのちを見つめていくという運動体なんです。」
7月3日に閣議決定された、原発推進の「第5次エネルギー基本計画」の序文に、「福島第一原子力発電所事故で被災された方々の心の痛みにしっかりと向き合い、寄り添い」とあるが、大変おこがましい。やっていることは寄り添うどころか、さらなる原発事故被災地を増やす可能性の高い政策である。しかし、むしろ、「たらちね」はこの気持ちの悪い「寄り添い」を、パシっとはねのけているようでもある。
「たらちね」の名付け親であり、放射能測定アドバイザーである遠藤藤一さんは語る。「立ち上げから女性が主力で進められてきたさまをみて、自然に『たらちね』という言葉が浮かんだんです。『たらちね』という言葉には、共同体を支配する女性権力、いわば『わたしたちがやらなければいけない』という責任を持っている母権、というイメージがあります。歴史的にも、天皇制が始まる前にはそういう時代が長く続いていました。」
「日々の仕事を手でこなすこと。手仕事をしながら考えると間違いはないし、正しいところに行ける。頭だけで考えていたらろくなことにはならないでしょ。手仕事が良心を育てる。これ、縄文の心に通じるんです。」
測定は手仕事だ。刻んだり、薬品を混ぜたり、丁寧な作業が必要だ。文明の利器である測定器を使用しても、古からの習わしである手仕事であることに変わりはない。
―祈りの道・1―
日付は前日にさかのぼり6月17日、「たらちね」総会が正午前に終わると、鈴木薫さんが南相馬市にある大悲山(だいひさん)に、車で連れて行ってくれた。磨崖仏と、ここに点在する横穴式住居に出会うためだ。「たらちねクリニック」の藤田操院長と、論文のために「たらちね」にボランティア滞在しているフランス人留学生を加えた一行で、南相馬に向け高速道路を飛ばした。時間節約のために、昼食はスーパーで買ったお弁当を車内で食べながらの、小さな旅路である。大悲山行きは、私がいわき入りしてから鈴木薫さんが思いついてくれたことだったが、これが私の寝ぼけた目を醒ますこととなったのだ。
私は車の助手席で、「たらちね」の機材であるホットスポットファインダーを膝に抱えていた。通過する場所の空間放射線量がグラフになって表示されるマシーンだ。あるところではグラフが跳ね上がり、あるところでは低くなる。放射線量は同じ地域でも場所によって違いがあるが、それが手に取るようにわかる。「福島」は放射能に汚染されているというのは嘘であり、「福島」は汚染されていないというのも、また嘘である。「福島」という名称で大きく括られることへの不快感と違和感を再確認しながら、私たちは祈りの道を車で進んでいく。高速を使い急いだ甲斐あって、予定よりも早く目的地に着いた。
大悲山には、大蛇の伝説がある。近くの沼の主である大蛇が、大悲山の蛇巻山周辺の岩に鉄の釘で打たれ、退治された話しである。伝説は勝者により作られ、神話は勝者により書き換えられることがある。本当は「大蛇」とは蛇を信仰する人々で、後から来た人々に侵略されたのかもしれないな、と考えながら大きな磨崖仏を見上げた。この磨崖仏は蛇の人々を供養するためのものなのか、または祟りを恐れ作られたのか。本当のことはわからないが、数え切れない人々が気が遠くなるほどの長い時間の中で、様々な祈りを捧げてきたのだろう。祈りを捧げられ過ぎた磨崖仏は、かなりくたびれた風に見えた。そして、原発事故の影響で、日本三大磨崖仏と言われるこの仏に会いにくる人は、今ではあまりいないようだ。
―祈りの道・2―
南相馬の大悲山からいわきへの帰路、高速に乗る前に、少しのあいだ国道6号線を走った。双葉郡のこの地域を見るのは何年ぶりだろうか。南相馬に行くことにならなければ、再びここを見ようとは思わなかったかもしれない。日々、脱原発の活動をしている自分でさえ、この地域の景色は埃をかぶっていたのかもしれない。帰宅困難区域へ通じる道は、未だに大きな蛇腹の鉄柵で封鎖されている。柵の前に立つ警備員、被ばくは大丈夫なのだろうか。帰宅困難区域の手前にも、門を鉄柵で閉じられた民家が点在している。馴染んだ家に戻れない人々の気持ちは想像を絶する。久しぶりにこの地域の有様を目の当たりにし、冷水を浴びせられたような気持ちになった。私の、愚かにも閉じかけていた目が開いたのだった。「原発事故」は確実に、まだ続いている。
大熊町のニュータウンと呼ばれる整備中の区域を通った。原発作業員や、帰宅できない大熊町の人々をここに住まわせようとしているそうだ。この区域からそう遠くないところに、鉄柵で門を封鎖されている民家がある。その近くの土手の斜面に、ブルーシートで作られた「おかえり」という大きな文字を見た時には、一瞬背筋が凍った。この国はいったいどこに向かっているのだろうか。原子力規制委員会は、避難指示がでた市町村以外の約2400台のモニタリングポストを撤去する方針を決めた。2020年の東京オリンピックでは、聖火ランナーが福島から出発するという。そのために、原発事故をなかったことにしたいのか。「緊急事態宣言」はまだ解除されていないのに。無数の送電鉄塔が山に突き刺さっているさまに、再び背筋が凍る。
もし仮に、近い将来、原発推進の安倍政権がなくなるなどしてエネルギー政策を転換することができ、原発ゼロに向かえるとしても、双葉郡の状況は変わらない。たとえ原発がなくなっても、ここではまだ原発事故が続いている。鈴木薫さんは言う。「私たちはやりたくて『たらちね』の事業をやっているわけではありません。皆さんがそうであるように、個人的に他にやりたいこと、できることはたくさんあります。もしほかの原発が事故を起こしたら、その場所で誰かが『たらちね』のようなことをしなくてはならなくなる。こんな大変なことをほかの人たちにはしてほしくないのです。」私にはその言葉がよくわかる。「たらちね」は子どもたちに対して、「大人の責任範囲」以上のことをしているのだから。
―野の道―
「祈」という漢字について。左の「示」は「神にいけにえをささげる台」の象形で神事を表し、右の「斤」は「柄の先に刃をつけた斧」の象形だと言われており、「軍の遠征や狩猟の成功を祈り願う字のようである」と解説している研究者がいる。昨今では、なんとなくフワフワと頼りなげなイメージになってしまっている「祈り」という言葉は、本来は、生存への、子どもたちに健全な世界を残すための、大きな戦いに立ち向かう「誓い」なのかもしれない。
私は少しだけ、「たらちね」のお手伝いをさせていただいている。開所当時に、「たらちね」のロゴマークを作らせていただいた。四つ葉のクローバーと三つ葉のクローバーと、測定室のイニシャルを組み合わせたデザインだ。四つ葉の大きいクローバーが親、または大人で、三つ葉の小さいクローバーが子ども。原発事故の被災地である「双葉郡」から、「葉」というモチーフを選んだ。このデザインコンセプトは、迷いなく一瞬で沸いてきたものだった。
最後に、「たらちね」の名付け親で放射能測定のアドバイザーをしている遠藤藤一さんが、「たらちねクリニック」開設時に詠んだ「野の道」という詩を紹介したい。この短い詩は「たらちね」の活動そのものであり、そして、「たらちね」が願うことが、穏やかにじんわりと美しく沁みでている。この「野の道」には、四つ葉のクローバーも三つ葉のクローバーもたくさん、嬉しそうに生い茂っている。「祈りの道」は「野の道」なのかもしれない。残念ながら今現在、この国の行く先は不明瞭だが、「たらちね」と福島の子どもの行く先には、キラキラと眩しく輝く「野の道」がどこまでも明るくのびている。
「野の道」
野の道をととのへよう
子らが行く路
樹々もあれ、野の花々
かたはらに蜜も虫も
裸足よ歩けば
ひたひたと
死んでゐるひとたち
うたを唱へば
かやかやと
未だ生まれぬもの等にも
響き伝はる
生きてゐる音
野をならし
道をととのへよ
子らが通ふ野の道
はるかむかうを見るあたり
『たらちねクリニック開設にあたり』
<参考>
『認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね』公式HP
https://tarachineiwaki.org/
『認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね』公式Facebook
https://www.facebook.com/tarachineiwaki/