NO NUKES PRESS web Vol.012(2018/12/27)

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NO NUKES PRESS web Vol.012(2018/12/27)
 
Report:原発事故から7年 ー 福島の海『たらちね海洋調査』
 
文:Misao Redwolf(首都圏反原発連合)
 
福島県いわき市にある『認定NPO法人 いわき放射能市民測定室』(以下『たらちね』)の「たらちね海洋調査」に参加した。福島第一原発からのトリチウム水海洋放出という危機から、美しい福島の海を守りたい。


【NO NUKES PRESS web Vol.012(2018/12/27)】Report:原発事故から7年 ー 福島の海『たらちね海洋調査』/文:Misao Redwolf(首都圏反原発連合) pic.twitter.com/DVEMS5GTog http://coalitionagainstnukes.jp/?p=11756

 
 

―序―
 
2018年10月19日、翌朝の『たらちね海洋調査』に同行取材をするために、福島県いわき市のJR泉駅に到着した。夕刻の到着、着込むほどではないが少し肌寒い。4ヶ月ぶりのいわきの空気は変わらず静かで、清々しいように感じる。明日は早起きをしないといけないというプレッシャーもあるが、友人でもある『たらちね』事務局長・鈴木薫さんとの再会や、久しぶりに船に乗ることは楽しみでもある。そもそも、6月16日の海洋調査を取材する予定でいたが、この日は天候の都合で延期になり、『認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね』(以下『たらちね』)の取材に切り替えた。『たらちね』のことと、私が福島県、とりわけ磐城(いわき)にどれだけの思い入れがあるかは、以前の記事に書いたので、
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=11297 合わせて読んでいただけると幸いだ。
 
10月20日早朝、鈴木薫さんが運転する車で、船が出航するいわき市内の四倉漁港に向かった。途中、東京から海洋調査のためにやってきた人たちをホテルまで迎えに行った。『認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金』(以下『高木基金』)の理事である鈴木譲東大名誉教授と、『高木基金』事務局の水藤周三さんだ。鈴木教授は海洋調査1回目から、水藤さんは3回目から、ほぼ毎回参加されている。そのほかの人々、船長と副船長、3名の海洋調査班、1名のボランティアのかたとは四倉漁港で集合。総勢9名を乗せた船は7:30に出航した。私は漁船は初めてだったが、小さなフェリーでも船酔いはしたことがないので酔い止め薬を飲まなかったことを、後々後悔することになった。漁船『第八開幸丸』は波のしぶきをあげながら、福島第二原発沖1.5キロ地点を目指し黙々と雄々しく進んでいった。
 
 

―福島の海へ―
 
船上でものすごい水しぶきと風を体全体に受けながら、乗船した皆さんが、振り落とされないようにいろんなところにつかまっている。漁船は思っていたよりとても大変だが、このライブ感はたまらない。遠くから見る岸はとても美しい。日本全国、原発が建つところは本当に風光明媚な場所ばかりだ。船が沖に進むにつけ海は果てしなく広がり、水ではなく滑らかな波打つカーペットのように見えてくる。空からの光の具合で海原の色が様々に、刻一刻と変化し美しい。可愛いウミネコたちが、いたずらにくっついてくる。しばらくすると「原発が見えるよ」と鈴木教授が教えてくださった。振り向くと手前に福島第二原発、奥に、2011年に事故を起こした福島第一原発がよく見えた。しかし、ここからでは原発構内で働く多くの作業員のご苦労までは見えない。この国の多くの人々はそれを想像できるのかな、とふと思う。
 
「漁船、楽勝!」と思っていたが、それは大きな間違いだった。海水と魚とプランクトンの採取のため、最初の定点のA地点に止まった途端、船体がグラリと大きく揺れ、間を空けずにいきなり船酔いに襲われたのだ。あとで聞くとこの日はいつもより波が高めだということだったが、しっかり酔い止め薬を飲んでおくべきだった。後悔先に立たず、もはや自分はここでは使い物にならない。取材だけでなく少しはお手伝いもしようと思っていたが、叶わない。それでも気持ち悪さと戦いながら、作業をしている皆さんの写真を撮ったが、揺れる船上で立っているのも限界に近づいてきた。グラグラと揺れに揺れる船上で、海水汲み上げや釣りなどテキパキと働く皆さんを見つめながら、せめてその動きだけはしっかり見ておきたいと思いながらも、仕方なく、船上で一番良い場所に腰を下ろして休むことにした。
 
子供の頃によく車酔いをしていて、その時に学んだのは「酔いは眠れば治る」ということ。皆さんには申し訳ないが、なるべく眠れるようにリラックスを心がけた。目の前で鈴木教授が釣り上げた魚の血液を採取されているのをボーッと見つめながら。最初のA地点での採取が終わり移動、次にB地点での採取。最後にC地点での採取があるのだが、C地点にきてようやく、太陽が顔をだしてくれたのを機になんとか持ち直した。よって、A地点からこのC地点まで、自分は酔いとの戦いに終始し、せめて皆さんのご迷惑にならないようにすることだけを心がけるしかなく、最後は早く船から降りたいという一心になった。この出来の悪い現場取材で一番実感したのは、調査メンバーの皆さんも凄いけど、漁師の皆さんの凄さを思い知った、ということだった。そして、海は生きているということ。
 
 

―たらちね海洋調査―
 
『たらちね』の事業のひとつである「たらちね海洋調査」は、2015年9月から始まり、以来、約2ヶ月に一度実施され、今回で12回目になる。福島第一原発沖1.5キロの3ヶ所の定点観測をベースに、採取した海水、魚、プランクトンの調査をする。セシウム134・137だけでなく、ストロンチウム90、トリチウムといったベータ線核種も測定し記録してゆくのが特徴だ。前回までは福島第一原発沖で調査をしたが、今回は福島第二原発沖で実施した。漁船には漁業権の縛りがあるため行ける海域が限られており、第一原発沖に行くことができるのは相馬漁協所属の船だけである。今回は相馬漁協所属の石井實船長の都合がつかず、いわき漁協所属の船に乗り、第二原発沖での調査となった。
 
第一原発と第二原発の距離は直線でおよそ12km。海には潮の流れがあり、海中のホットスポット(放射性物質がたまりやすい場所)は、汚染物質が流れ出ている第一原発の近くだけとは限らない。実際に、今回の海洋調査の海水の測定結果も、第一原発沖の測定値と変わらない値だった。定点観測とは文字通り定点での観測であるが、今回のように場所を変えることも、海全体の様子を知るには必要なことだ。『たらちね』が行った2015年の海底泥の測定では、第一原発沖よりも、東京の海水浴場近隣の海底泥の放射能値の方が高い値を示したこともある。陸上の汚染は風雨の影響を受けやすいが、海の中は潮の流れや、山からの汚染が河川を伝って移動するなどの影響があり、読み切れないのが実際のところである。
 
 

サンプリングは、それぞれの地点で表層と海底層の2層の海水を、それぞれ40リットル採取し、セシウム検査用とストロンチウム検査用に、20リットルずつに分ける。採取地点は3ヶ所あるので、採取した海水は合計で240リットルとなる。海水採取を見学したが、大変な力仕事で、揺れる船上ではとても困難な作業だ。魚の採取は、釣りによって行う。これもまた困難な作業で、船での海釣りを経験したことがなければ難しいだろう。ボランティア参加も受け付けているが、なかなかスキルのハードルが高い。また、定点で、どのタイミングで釣りを切り上げ船を移動させるかなど、船長との呼吸合わせも重要で、これもまた回数をこなさないと難しい。「定点での海水と魚の採取」と文字だけみれば簡単そうに見えるが、実際にはかなりハードな作業であることが、同行してみて本当によくわかった。
 
採取した海水と魚は『たらちね』に持ち帰り、放射能測定をする。また、鈴木教授が、採取した魚とプランクトンの調査をするために、血液や組織などのサンプルを採取し持ち帰る。なお、魚は採り過ぎたらその場でリリースすることをルールとしており、生態系保全の心がけも忘れていない。この日も正午頃に港に戻り、乗船した皆で昼食を摂ったあとに小名浜の『たらちね』に検体を持ち帰り、鈴木教授によって魚の組織のサンプル採取、鈴木薫さんと水藤周三さんによって、放射能測定のための下ごしらえ(測定に必要な量を切りすり潰す)が行われた。この日は3~4キロほどの小ぶりなサメが釣れた。死んだサメの目に見つめられているようで居心地の悪さを感じながら、魚に触れない私はここでも使い物にならず、皆さんの手慣れた作業を見学させていただいた。
 
 

―次世代のためにデータを残す―
 
魚のサンプル採取の作業を終えた鈴木教授にお話をうかがった。鈴木教授は、浜名湖の東大水産実験所で魚類免疫学の研究に携わっていた。定年退職の2年前にあの巨大地震が起こり、浜名湖でも職員が慌てて外に飛び出すほどの強い揺れを感じた。何より心配だった福島第一原発が制御不能に陥り、爆発の場面を目の当たりにし強い怒りに震えたが、遠隔地の附属施設にあっては何もできることはなかった。高校生の頃は『夢の原子力』と謳われていた原子力に憧れを持ったが、1970年代に水産学を学ぶ中で原発の危険性を知り、問題意識を持ち始めた。知るのが遅かったため原告にはなりそこねたが、浜岡原発の訴訟のサポーターにもなった。懸念が現実になり、「原発を推進した者たちは無責任もいいところだ。作るだけ作って後片付けは子孫に? 次世代へ負の遺産を残してはいけない」と、鈴木教授は憤る。
 
定年間際の2013年3月に、東京で開催された飯館村に関するシンポジウムで福島の人の生の声を聞き、何かできることはないかと焦燥感にかられた。退職後まもなく、ため池のコイを調べれば放射能の影響を明らかにできるのではないかと思いついた。名誉教授とは称号だけでもはや使える研究費もないので、手弁当覚悟で調査を始めた。線量が低いところから高いところまで、様々な地域のコイを調べたが、個体ごと、池ごとの違いが大きく、調査の結論を出すまでに至っていない。同一の養殖場で育ったコイを、各地にある7カ所の池に放流して1年後の変化を見る研究にも挑戦したが、230匹中わずか9匹しか再捕獲できず、調査が進まなかった。鈴木教授は本来ラボ中心の研究者で、小さなため池の調査なら対応できるだろうと考えて取り組みを始めたが、その限界を思い知らされた。
 
一方、海の魚については、ウナギ産卵場探索という本格的な海洋調査に参加した経験が何度かあることから、試験研究機関でないと到底無理だと最初からあきらめていた。ところが、一市民団体に過ぎない『たらちね』が海洋調査を計画していることを知り、すぐに協力を申し出た。それ以来、この調査の中心メンバーの一人となっている。長年研究の第一線で活躍してきた鈴木教授だが、元々、野鳥観察が好きだったことから干潟保全活動に加わったり、自宅近くの地下道路の反対運動の先頭に立ってきたりと、社会活動にも携わってきた。こうした経験から『高木基金』に関わるようになったという鈴木教授は、「こちら側に立って活動できる次世代を育成しないといけない、『高木基金』の理事として、いろいろ提案していきたい。原発問題、放射能汚染問題で活動している人にも、これからを担う次世代を育ててほしい」と語る。
 
「たらちね海洋調査」について鈴木教授にうかがった。「台風通過後のプランクトンの調査で、セシウムが陸から流れてきていることがわかった。陸の汚れが時々海に流れ出て海の生態系に取り込まれ、そこで何か悪さをする可能性がある。セシウムは濃縮しないがストロンチウムだとどうなるのか。考えないといけない」「調査の結論はなかなか出せないでしょう。結果が出ないので論文にはならないけど、測定して記録する。標本を作ってデータとして公表していくなど、今後も継続して、後世で活用できるような形で記録を残したい」。原発については、「廃炉に30~40年というがとても無理だろうし、トリチウムにしても100年かかって1000分の1になり、ようやくほぼ無視できるレベルになる、そういうスケールの話。私が生きている間に原発の最後は見届けられないが、ともかく全ての原発をなくすことは絶対必要だ」と力を込めた。
 
 
―危険な核種トリチウム(三重水素)―
 
「たらちね海洋調査」の事業責任者で、『たらちね』事務局長の鈴木薫さんに、海洋調査を始めるきっかけをたずねた。2013年に『たらちね』は甲状腺検診を始めるにあたり、放射線科の専門医で、北海道がんセンター名誉院長の西尾正道さんに検診の協力を仰いだ。内部被ばくの性質を利用してがん患者の治療を行う、がんと内部被ばくの専門家だ。セシウムやストロンチウム線源を使って治療に役立てる技術に優れており、様々な核種の性質についても大変詳しい。西尾さんはその当時から、トリチウムのことを心配していた。福島第一原発から漏れているトリチウムは海中の食物連鎖で濃縮されていくので、魚も危険な状態になること、海水の放射能分析においてトリチウムは重要であることを教えてくれた。しかし、トリチウムは測定が非常に困難な核種で、水素と性質が同じなので水に溶けやすいために除去できない。
 
トリチウムを「エネルギーが低く、人体に取り込みやすいが出て行きやすい放射性物質」とし、生命にとって重要な役割を果たしている全ての化合物の中に水素原子があるから、放射化した水素であるトリチウムも人体への影響はないというのが政府の見解だ。しかし、西尾さんの見解は異なり、トリチウムのベータ崩壊により、トリチウムがヘリウムに壊変すると、染色体の二重螺旋構造を結合させる水素結合力が失われ、染色体が破壊されるという。トリチウムを大量に放出するカナダの原発の周辺で、小児白血病、新生児死亡、ダウン症などが多発している事実などを、著書や講演会などを通じ警告している。西尾さんは、8月に行われた福島第一原発のトリチウム水海洋放出の公聴会(多核種除去設備等処理水の取扱いに係る説明・公聴会)の東京会場でも、トリチウムによる健康被害を強く訴えた。
 
原発を稼働すれば、必ず原子炉からトリチウムが出る。世界中のほとんどの原発や再処理工場では、トリチウムの回収が行われず環境中に放出されている。トリチウムの危険性は据え置きにされ、そのまま垂れ流すか、法定限度未満に薄めて垂れ流すことがずっと行われている。日本国内の原発もこれまでに、天文学的な量のトリチウムを海に流してきた。また、政府だけでなく福島第一原発を運営する東京電力も、化学上の形態は主に水として存在し水道水にも含まれている、半減期は12~13年で食品用ラップでも防げる極めて弱いベータ線しか出さない、水として存在するので人体にも魚介類にもほとんど留まらず排出される、セシウム134や137に比べ単位Bqあたりの被ばく線量(mSv)は約1000分の1であるなど、トリチウムの安全性を訴えているが、とうてい信用できるはずがない。
 
 

―初の船出―
 
トリチウムのこと、また、ストロンチウム90も水に溶けやすいと知り、福島第一原発沖での海洋調査の必要性を感じたが、実際に『たらちね』が調査を始めるまでには、様々な困難が待ち受けていた。まず、2015年初頭に、小名浜の市民団体が出す釣りを目的とした船に同乗させてもらい、サンプリングを行う計画を立てた。協力を得られるところまで話しが進んだが、団体のメンバーから『たらちね』のサンプリング乗船に対して慎重論があり、実現しなかった。放射能は見えない・におわない・感じない環境汚染で、姿のない放射能の被害は漠然としたものだ。測定しても検出下限値の数値が高ければ、細かい実態は見えないこともある。『たらちね』の精度の高い測定により、不可視だった放射能が可視化され、測定値が一人歩きをすることで、人々の意識に影響が及ぶのではないかと、その市民団体は危惧したようだ。
 
仕方がないので他の手段を思案し、知り合いのクルーザーを用船することも考えたが、個人的な動きではなく地域の連携に重点を置き、地元の漁船で調査を実施することを検討した。そのことにより、調査するだけではなく、地元の漁業者にも市民が行う海の放射能測定に関心を持ってもらい、地域の和を作ることができるのではと考えたからだ。鈴木薫さんはさっそく、いわき市の漁協に行って漁船を出してもらえないかと相談した。しかし、返事の音沙汰はない。2015年当時、東電が汚染水を流すか流さないかという瀬戸際の時期で、漁協内で会議が立て込んでいたのだった。しかし、鈴木薫さんは諦めずに何度も連絡をした。地元の漁師さんからいただいた、漁協の誰に話せばよいかや、何に気をつければよいかなどのアドバイスに従って、アプローチを続けた。だが、漁協からの音沙汰はない。
 
最終的に鈴木薫さんは漁協に手紙を書いた。「汚染水放出の可否については、沿岸の漁業者だけに決定を委ねられることではありません。海は皆のものであり、また、誰のものでもありません。汚染水放出はみんなの問題です」。翌日、「船の手配をします」と漁協から連絡があった。ようやく始動にこぎつけたのだ。しかし、ここからも大変なことは続いた。2015年9月の一回目の海洋調査は、皆よくわからないままに道具を持ち寄り実施した。乗船したメンバーの多くが船酔いをして、病人を船に乗せているような状況だった。最初は石井船長とのコミュニケーションも円滑ではなかったが、一回目の海洋調査は失敗に終わったと自覚した鈴木薫さんは、何度も船長の家に通い打ち合わせをして、海洋調査の経験豊富な船長からいろいろなことを学んだ。「たらちね海洋調査」は、こうして少しずつ形になっていったのだった。
 
鈴木薫さんは語る。「測定の活動は化学的で理科的で、心の動きがみえないような印象を受けがちですが、実は人の心と共にある活動なんです。地元の漁協と連携して活動することにも、大きな意義があります。回を重ねるうちに人の心の輪ができてきて、それがみえてくるんです。協働することで話題が共有できることは地元ではすごく大事なので、地域のかたにもっと参加していただければと思います。11月4日に開催するトリチウム水海洋放出についてのシンポジウムに、福島県漁業協同組合連合会(以下「福島県漁連」)の会長や、小名浜の魚屋の女将で子育て世代の女性がパネラーとして参加してくださいます。同じ地域で暮らす人々が問題を共有することは大切なことで、『たらちね』が測定値を出すことは、問題の可視化と共有に役立っているだろうと思います。海洋調査の結果は私たちの世代では出せないかもしれませんが、測定を続けながら、次世代に事実を伝えることを続けていきたいと思います」
 
 

―「たらちね海洋調査」からみえてくるもの―
 
三回目の海洋調査からほぼ毎回参加している、『高木基金』事務局に勤める水藤周三さんにもお話をうかがった。水藤さんは東日本大震災が起きたとき20代の大学院生だったが、1年間、津波被災地のボランティアとして宮城や岩手を転々としていた。その頃は、原発事故についてはほとんど関心がなかったという。そんな水藤さんが違和感を持ったのは、2012年4月に南相馬市にボランティアで入った時だった。行きがけに飯舘村を通ったが、春ののどかな村に人だけがいない。興味で持参した線量計を見ると、ほかでは見たことのない数字が表示されている。南相馬市でボランティア活動をしている時に小高区の警戒区域指定が一部解除され、解除の翌日に入ってみると、違和感があった。
 
一緒に小高区に入ったボランティア仲間は「津波のあとのままだね」と言っていたが、2011年4月初めから津波被災地に入っていた水藤さんは、そうではないと感じた。いくらかガレキを片付けた跡はあったが、それまでに見てきた津波被災地の、住人が片付けた跡とは違っていたことに気付いた。自衛隊の方々が片付けて、住民は入ってきていなかったからだろう。『被災地』を回ってきたつもりだったが、津波だけの被災地とは違うショックを受けた。商店のかたに「この辺りでおいしいものってなんですか」と訊ねたら、「本当はこの時期、山菜がおいしいけど、もうだめよ」と返ってきた。「もうだめよ」の意味が、津波被災地と違い、自分が生きている間はだめということなんだと理解したという。水藤さんはこの経験から原発問題を学び初め、知人に話したところ、『高木基金』を紹介され、その後、職員になった。
 
水藤さんに、海洋調査について聞いてみた。「海洋調査に参加することは、それだけでなく、いわきの人たちとの繋がりと交流を保つことや、定期的に福島についての情報を得る、情報を交換するという大事な側面もあります。もともと海に興味があり、釣りも好きだったのですが、船釣りは初めてでした。魚介類の放射線量は下がってきているけど、未解明のことはたくさんあると思います。たとえば、漁業再開に向けた試験操業や東電の調査などで、同じ種類の他の魚の放射線量は低くても、突然1匹から、高い放射性セシウムやストロンチウム90の値が検出されたことがあります。なぜそうした魚が出るのか、いろいろと仮説が立てられていますが、本当のことはまだ誰も解明できていません。」
 
さらに、海洋調査に参加して印象的な出来事を尋ねた。「毎回、地元の釣り好きの青年たちが参加しているのですが、『この人たちは償われているのか』と疑問に思いました。漁業者は不十分ながらも賠償の対象になっていますが、釣りなど海での趣味を喜びにしてきた人たちはどうなのか。地元の魚を食べることを楽しみにしていた人たちはどうなのか。所詮趣味だろうと言われてしまうかもしれませんが、その人たちからすればそれは生活の一部であり、生き甲斐です。家庭菜園や山菜採りが賠償の対象にならないといった話がありますが、海でも同じ状況です。しかも、陸地の汚染以上に、海の汚染はわからないことが多い。釣りに限らず、そういう、なかなか気付かれていない、でもその人の人生にとって甚大な原発事故の被害って、たくさんあると思います」
 
 

―福島第一原発・トリチウム汚染水の海洋放出―
 
2020年のオリンピックに向け、安倍政権は、福島原発事故がなかったことにしようとしているように見える。オリンピック誘致のために安倍首相が、福島第一原発は「アンダーコントロール」されていると、世界に向け虚偽を公言したことは記憶に生々しい。安倍政権に2020年以降の明確なビジョンがあるとは思えない。政府も東電も、様々な問題を目先の付け焼刃で突っ切ろうとしているように見える。福島第一原発から出るトリチウムを含む汚染水の処理についても、その体質がうかがえる。多核種除去設備ALPSでの浄化処理ができないトリチウムは、福島第一原発の敷地内のタンクに保管されているが、様々な処理方法の候補の中から、一番安価な方法として、経産省はトリチウム水の海洋放出を進めようとしているのだ。そのために、トリチウムは人体に害がないとプロパガンダに勤しんでいる。政府は2018年度内にこの方針を決定しようとしていた。
 
それに向け、資源エネルギー庁は今年の8月に、福島県の富岡町と郡山市、東京の3ヶ所で、トリチウム水の処理方法を検討する『多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会』事務局主催として、市民に対する公聴会(多核種除去設備等処理水の取扱いに係る説明・公聴会)を開催した。経産省はこの公聴会を、海洋放出に反対する人たちへのガス抜き、アリバイ作りとして開催したと思われるが、そうは問屋がおろさなかった。まず、タンクに保管されているトリチウム水には、ヨウ素129やストロンチウム90などトリチウム以外の核種が、告示濃度限度(環境放出する際の基準値)を超えるレベルで残留していることが明らかになったからだ。そのことは小委員会の議事録には「全て取り除けていない」としか記録されていないのだが。最終的に、浄化されたはずの汚染水約89万トンのうち、8割超にあたる約75万トンに、放出基準値を上回る複数の核種があることが発覚した。
 
加えて、トリチウム水処理方法の公聴会では、市民の力が発揮された。水藤さんは郡山会場で意見表明者として発言したのだが、同じく意見表明者であった郡山市在住の知り合いの女性と、前日の富岡会場での公聴会の様子を元に、短い時間でどう意見を言うべきかを話し合った。女性は専門知識のある人ではないのに、この日のために学習会をしたり、委員会の議事録を読んだりと、よく勉強していて驚いたという。意見表明者のほとんどは海洋放出に反対なので、連携して資源エネ庁らを追求した。「『トリチウム以外の物質が残っていることを説明していたか』と聞いても『説明していた』と逃げられるので、『告示濃度限度を超えるレベルでこれだけ残っていたことを説明していたか』という正確な聞き方にしよう」などと、表現の方法や言葉にも工夫をした。
 
また、ある意見表明者は、「資料では『トリチウムは自然界にも存在し』と書いてある。私は高校で習った知識しかないが、高校のときに学校で使った化学の辞書を引っ張り出してきて調べた。三重水素(トリチウム)はたしかにあるだろうが、全体としては、水素1,000,000,000,000,000,000個という膨大な数の中で、やっと1個あるというものだ。『自然界にも存在し』と言うのは言いすぎじゃねえか」と問いただし、慌てて「専門家」である委員が弁明する場面があった。帰宅して高校時代の参考書を開いて見てみると、確かに「トリチウムは放射線を出しながら壊れるので、自然界にはごくわずかしか存在しない」など、ほとんど存在しないことが強調されて書かれていた。見知らぬ人だったが、一生懸命勉強しているんだなと思ったという。
 
さらに、公聴会では時間があまってしまっていたので、意見表明者から切り出し、マイクを回しあって質問をした。会をぶち壊しにするのではないかたちでの、意外な展開だった。質問を受けた委員から、「『海洋放出だ』と勝手に言っているのは原子力規制庁であり、我々は規制庁の手先ではない」、「原子力規制庁から、『タンクに溜めるというのは除いて検討しろ』と言われて検討してきた」などと、資源エネ庁が想定していなかったであろう発言を引き出した。水藤さんは「公開の場で市民が意見を言え、政府側と双方向で議論できる場さえあれば、もっと戦える、市民の力が出せる」と公開の場で議論することの重要性を実感したという。私も東京会場での公聴会を傍聴したが、市民の方が、専門家と言われる委員たちと互角、いや、それ以上の的を得た発言をしていた。委員よりも市民の方が、この問題に対して真剣に向き合っている。
 
 
―福島県漁連会長の訴え・国民的議論の必要性―
 
水藤さんによると、委員の中にも海洋放出には慎重な意見を持つ人たちがいるそうだ。それは小委員会の会議の議事録からもうかがえる。また、水藤さんは、メディアのこの問題に対する鈍さを指摘する。「これまで海洋放出を「唯一の選択肢」と主張してきた原子力規制委員会の更田豊志委員長は、公聴会後、初めての記者会見で、環境放出をしないとなると『廃炉プロセスに与えるインパクトは非常に大きいだろう』と難色を示しましたがその通りで、トリチウム水処理の問題は、廃炉計画全体に影響すると思います。そもそも現在の廃炉計画自体がおかしいので、こうしてトリチウム水の問題がクローズアップされたことで、廃炉工程全体を見直す良い機会であるはずなのに、『トリチウム水の処理方法は5つある』という風な、資源エネ庁の話を右から左に流すような報道しかしない。単純にこの問題の本質をわかっていないのだと思いますが、根本を理解して報道をしてほしい」
 
8月30日の富岡町での公聴会では、福島県漁連の野崎哲会長が意見表明者として登壇し、「海洋放出は、福島県の漁業に壊滅的打撃を与えることは必至だ」と強く反対を表明した。野崎会長はその後、11月4日に『たらちね』も協力していわき市で開催した、トリチウム水の海洋放出についてのシンポジウム『海と私と命と暮らし市民シンポジウム~汚染水、流したらどうなるの?~』に、パネラーとして登壇。野崎会長が福島県漁連の肩書きで、地元での市民のシンポジウムに登壇することの意味は深い。野崎会長はシンポジウムで、「これは福島県漁連だけで決める問題ではない。福島県民、全国の国民全体で議論すべき問題だ」と強く訴えた。東電のミスで海洋放出の時期は年単位で引き伸ばされたが、方法は海洋放出ありきでいいのかも含め、国民的議論をきちんと練り上げていくべきである。
 
以前、鈴木薫さんはあるジャーナリストによる、野崎会長への取材に同行したことがあった。2015年の汚染水の海洋放出の時のことをたずねると、その時は考える力を持てず、「これで原発事故が収束するのであれば」と何度も繰り返し、致し方ないと思ったという。11月4日のシンポジウムでも野崎会長は、「事故の収束が最も大事だ」と発言した。また、漁業者のモラルが崩れていくことも懸念していたそうだ。船は手入れをしないと動かなくなるが、賠償金をもらうと船を手入れしない漁師も出てくる。漁師は魚をとって輝く人種なのだ、と。漁業の未来の行く末を懸念し、苦しい状況が続いている。これは生業だけの問題ではなく、人格権の問題でもあり、また、漁業を生業にしてきた人たちの、生命の源である「海」への責任感、そして「海」への慈愛からくる苦悩でもあるのではないかと、この話を聞いて感じた。
 
 

―磐梯山と猪苗代湖と海―
 
「たらちね海洋調査」の翌日、鈴木薫さんの運転する車で、私たちは会津に向かった。私たちはこれまでも何度か、一緒にいわきから会津を訪れている。道中、猪苗代湖を見るのも楽しみだ。これほどに美しく高貴な湖を、私は見たことがない。移動中の車内での会話も楽しい。もちろん、友人同士の楽しい会話だけではなく、私は「福島の今」を聞くことも大切にしている。鈴木薫さんへのインタビューは、この移動中にした。会津若松に到着し、まずは鈴木薫さんが予約してくれた食事処で昼食をとった。その後、私たちが毎回会津で訪れる、新撰組の近藤勇の墓参をした。墓は小高い場所にあり市内を見渡せる。戊辰戦争で官軍が勝たなければ今の日本は違っていただろうと思いながら、次の目的地、江戸幕府の生みの親とも言える天海の、手植えの巨木のある伊佐須美神社へ。天海は会津の生まれなのだ。
 
いわきへの帰路でも、色々な話をした。プライベートな話から、社会的な話まで。もちろん、原発の話も。前回会津を訪れた時に虹が出たよね、と鈴木さんが言ったので、私もそれを思い出した。猪苗代の湖畔で車を降り、湖の向こうの山に沈みゆく、宝石のように輝く太陽を拝んだ。車で移動しても太陽は私たちにくっついてきたが、そのうちに沈んでいなくなった。会津に赴く理由のひとつに、戊辰戦争がある。今年のNHK大河ドラマは『西郷どん』であるが、薩長の行いは正しかったのだろうか。私には「瓦解」としか思えない。いずれにせよ、現在の社会や政治を考える上で、歴史の流れを認識することで見えてくるものもある。人々の営みとは何なのか。確実に言えることは、人々の営みや行いが社会や政治を作っていくということだ。無意識的に生きてはいられない。これは大人としての責任でもある。
 
トリチウム汚染水の海洋放出反対派の多くは、トリチウム水のタンク保管を継続し、その間にトリチウム除去の技術を進める、または、線量が落ちるのを待ち放出する、と意見する。また、原子力規制委員会では、大型のタンクを作るという意見も出ている。そもそも、付け焼刃で小さいタンクでやってきたのも間違いだった。2018年度内の海洋放出決定が暗礁に乗り上げ、規制委の更田豊志委員長のトーンは下がりつつある。東京での公聴会で私が一番気になったのは、委員から頻繁に発せられた「風評被害」という言葉だ。風評被害? 最初から前提で話が進んでいるが「実害」はないのか? 思い出す中で様々な憤りを感じながら、福島の象徴である厳しくもおおらかで偉大な磐梯山を、車中から見つめる。福島の宝である、海洋調査の船上で見た神々しい水面の海と、神秘的な猪苗代湖と、いま目の前にある磐梯山。このそれぞれの場面を、私は決して忘れない。
 
 
 
<参考>
「たらちね海洋調査」の測定結果
https://tarachineiwaki.org/radiation/result
『認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね』公式HP
https://tarachineiwaki.org/
『認定NPO法人 いわき放射能市民測定室たらちね』公式Facebook
https://www.facebook.com/tarachineiwaki/
 
多核種除去設備等処理水の取扱いに係る説明・公聴会(経済産業省HP)
http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/takakusyu/setsumei-kochokai.html
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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