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NO NUKES PRESS web Vol.033(2020/09/24)
Posted on by 反原連 on 9月 22nd, 2020 | NO NUKES PRESS web Vol.033(2020/09/24) はコメントを受け付けていません
NO NUKES PRESS web Vol.033(2020/09/24)
Opinion:原発事故から10年 ー 「道をたずねながら、われわれは歩く」
寄稿:田村あずみ(滋賀大学国際交流機構・特任講師)
「3.11後の路上は、抗議の場であると同時に、そうした不可視化されたものと、日常に忙しい私たちをつなぐ場のようにも感じました」 - 3.11を英国で過ごし、翌年から脱原発のデモや抗議に関わる人々を取材し、研究してきた田村あずみさんにご寄稿いただきました。
ツイート【NO NUKES PRESS web Vol.033(2020/09/24)】Opinion:原発事故から10年 ー 「道をたずねながら、われわれは歩く」 寄稿:田村あずみ @mraztm(滋賀大学国際交流機構・特任講師)https://pic.twitter.com/ZkzXSxGjy1 http://coalitionagainstnukes.jp/?p=14287
路上で出会った方々へ
2012年から2014年ごろの金曜官邸前抗議やデモの最中、大学院生と名乗る女性に声をかけられて、インタビューに応じてくださった覚えのある方、それは私かもしれません。皆さんに再びお会いできて嬉しいです。
皆さんにとっての反原発の原点は、2011年3月11日かもしれないし、もっと前かもしれません。けれども私の原点は、その一年後でした。
震災当時の私は、大学院生として英国にいました。朝起きて、友人からのスカイプを受けて慌ててニュースを確認し、津波の映像を見ました。自分の国が、自分のいない間に永久に変わってしまう。そんな不安はあったものの、日本にうんざりして外に飛び出した私にとって、それは実感を欠く出来事でした。
一方で当時、修士課程にいた私は、日本の若者の生きづらさについて考えていました。日常で強いられる痛みに対する反応が、他者への暴力や自己の破壊に向かってしまうのはなぜか。あるいはその痛みが、現実を変える衝動につながらず、私たちの努力がいつも、理不尽な現実に適応することに向かってしまうのはなぜなのか。こうした問いは最終的に「私たちはどうやって声を上げ、社会を変えてゆけるのか」という問いに収斂してゆきました。
こうした中で、3.11後に声を上げた人々に話を聞きたい、という思いが生まれました。人々はどんな思いで路上に立っているのか、それがどう社会を変えうるか、知りたいと思いました。2012年3月11日、東日本大震災からちょうど一年後に東京で行われたデモに合わせて帰国し、聞き取り調査を始めました。
怒りと後悔
人々はどんな思いで路上に立つのか。私が当時、予想していたのは怒りでした。東電への怒り、政府への怒り。実際の路上で、もちろんそうした怒りも聞かれたのですが、それよりも人々が頻繁に表したのは後悔の念でした。原発問題に無関心だったこと。「原発は安全だ」と言われるまま信じてきたこと。安全性を疑っていたのに声を上げなかったこと。チェルノブイリ事故の衝撃を忘れてしまったこと。地方に建てられた原発の電力に頼って都市で快適な生活を送ってきたこと。
「怒りだとするなら、自分に対して怒っているよね」。そう語った人もいます。
こうした言葉を聞くうち、自分自身もそうだった、知ろうとしなかったし、疑問があっても面倒だから口にせずにきた、と改めて感じました。
「私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」と2011年9月の集会で語った福島の活動家・武藤類子さんも、この印象的な言葉の前に、次のように述べています。
「この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子どもたち、若い人たちに、このような現実をつくってしまった世代として、心から謝りたいと思います」
私たちは3.11を機に、自分のこれまでの行動(というより、行動しなかったこと)がもたらした、あまりにも大きな結果に向き合うこととなり、呆然としました。それは地理的にも時間的にも、私たちの予想を超える被害をもたらしてしまいました。
3.11後の反原発運動について英国で報告したとき、運動の背後にある情動が後悔だというのは不思議だという感想がありました。通常、人々を突き動かすのは抑圧に対する怒りだろうと。怒りには、敵対する対象があります。反原発運動の中でも、もちろん政府や原子力ムラという敵がはっきり名指しされることもあります。でも一方で私たちは、原発を支えてきた「敵」に、自分たちも含まれていたと思い知らされ、後悔したのです。
自分の生を抑圧するものに、すでに自分が関わってしまっている。それが複雑な現代社会の特徴です。こうした複雑さが抵抗のための「怒り」をシニカルな「諦め」に変えてしまいます。安定を維持するため長時間労働にも耐え、理不尽な要求に従い、結果的に自分の生を摩耗させてしまうことも珍しくありません。
私が尊敬する研究者に、メキシコの先住民運動を研究しているジョン・ホロウェイという人がいます。彼は、「革命というものは私たちを引き裂いている混乱と矛盾から出発する」と語ります。3.11後の反原発運動は、複雑さのただ中、混乱と矛盾の中から生まれました。その背後にあったのが、「諦めて何もしなかったことで、途方もない犠牲を生んだ。これをもう二度と繰り返したくない」という後悔です。そうして始めた行動を通じ、この十年で私たちは、尊厳を踏みにじるものに対する怒りも取り戻してきたのではないでしょうか。
「道をたずねながら、われわれは歩く」
「社会は複雑だ」とよく言われます。この言葉の後には、「だから感情的に反応するのはよくない」「批判ばかりじゃ何も変わらない」「専門家でもないのに口出しするな」というような、デモへの否定的な言葉がよく続きます。
しかしこういうことを言う人こそ、現実の複雑さに向き合っていない、と私は思います。
なぜ社会が複雑なのか。それは、たくさんの要素が(まだ顕在化していない要素も含め)緊密に絡まり合っているからです。原発事故の可能性を考えてもそうだし、原発が建設された背景を考えてもそうです。もちろん、だからこそ一つの側面だけを見るのではない複眼的な視点を持つべきだ、そうした知性を備えるべきだ、という主張がされます。
でも現実はもっと複雑なのです。なぜならその現象に自分も絡んでいて、それにもかかわらず、自分がその現象にもたらす影響が予期できないからです。社会は複雑だから安易に介入すべきでないと言うとき、人はその社会から自分の身体や影響を切り離せるかのように「外側」に立って語っています。しかし実際には、社会は複雑だから、私たちはその外側に立って俯瞰的に分析し、明確な答えを出すことができないのです。まずは「知りえないことがある」ことに謙虚になる必要があります。「知りえない」世界にすでに巻き込まれているからこそ、私たちはひどく不完全で脆いのですが、一方で、世界にすでに巻き込まれて切り離せないからこそ、内側から、よりましな変化を手探りで作っていくしかないのです。
原発事故は、自分たちが社会を構成する一部であり、社会の当事者だということを強く意識させました。「非関与」は暗黙の了解を与えるという意味で「関与」であり、「中立」は力の強いものの肩を持つことになると教えました。だからこそ、まずはノーという声を上げる。それは社会の複雑性に真正面から向き合う態度です。
前述のジョン・ホロウェイは、ノーという叫びから抵抗が始まり、「道をたずねながら、われわれは歩く」のだといいます。まず拒絶の意志を示し、行動しながら、原発のない社会を実現するためにできることを、この複雑な社会で探ってゆくのです。
災厄と路上
災厄は、普段は不可視化されているものを暴き出します。原発事故は、都市と地方との、あるいは現在世代と未来世代の不均衡な関係に生じるひずみを露わにしました。災厄によって私たちは、自分たちの日常生活が、いかに不安定で脆い基盤の上にあるか思い知らされます。いま社会の「マイノリティ」側におらず、自分は安定を確保したと考える人でも、その安定をあっさりと奪われるのが災厄です。しかもコロナ禍を見れば分かるように、安定は予想もしない形で崩されます。
2011年秋、ウォール街に端を発して世界を席巻したオキュパイ運動のスローガンは、「私たちは99%だ」でした。震災と原発事故によって、自分たちがまさにこの「99%」なのだと自覚した、と私に語ってくれた方がいます。不透明な現代社会で、トップの「1%」以外は皆つねに予測不能の脆弱性にさらされているのです。
脆弱性にさらされた私たちは、どのような行動を取るのか。人々は不安によって分断されます。異質な他者を排除する傾向が、世界中で見られます。他者を積極的に排除することはなくとも、多くの人は自分の生活に精いっぱいで、周囲に配慮する余裕はないかもしれません。日常に疲弊すれば、視界の外にあるあらゆるものについて考えることをやめてしまいます。見えない恐怖も、隠蔽された問題も、次の災厄の可能性も、実現できるかもしれない希望も。
繰り返される災禍の中で、今度こそ変わらねばならない、と私たちは何度も誓ってきました。その第一歩は、私たちひとりひとりが潜在的なもの、忘れられているもの、価値がないとされているものに目を向け、それを尊重することから始まります。
3.11後の路上は、抗議の場であると同時に、そうした不可視化されたものと、日常に忙しい私たちをつなぐ場のようにも感じました。官邸前で、福島の人の、他の原発立地地域の人の、原発労働者の、そして彼らと連帯する人たちのスピーチを聞くことで、私たちは「日常の外」を感じ、考え、行動を始めます。まだ/もう存在しない未来/過去の人々とのつながりを語ってくれた方もいます。
官邸前抗議は「熾火(おきび)のようなもの」と表現した方もいました。何かあったとき再び燃え上がるための熱をためておく場です。次々に予期せぬ問題が起こる複雑で不透明な社会で、多くの人が無力感に満たされています。私たちが行動を続けるには、想像以上のエネルギーが必要です。だからこそ諦めてしまわないよう、声を上げるエネルギーを受け渡すことが必要になります。私のように地方に住んでいたり、そうでなくても感染症のため集まること自体が難しい状況もありますが、熾火の熱を伝えあい、尊厳を脅かすものに対して立ち向かってゆかねばと思います。
田村あずみ <プロフィール>
1980年、埼玉県生まれ。立命館大学国際関係学部卒業後、中日新聞記者を経て、2011年に英国ブラッドフォード大学大学院修士課程修了(平和学)、2016年に同大学院博士課程修了。博士論文研究として、金曜官邸前抗議を含む3.11後の日本の反原発運動参加者に聞き取り調査を実施した。近刊『不安の時代の抵抗論』(花伝社)http://www.kadensha.net/books/2020/202006fuannojidainoteikouron.html では、3.11後の路上の人々の言葉から、現代社会における抵抗の可能性を考察。現在は、滋賀大学国際交流機構特任講師。