NO NUKES PRESS web Vol.032(2020/08/27)

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NO NUKES PRESS web Vol.032(2020/08/27)
 
Opinion:原発事故から10年 ー 火山地震神話の研究をしてきました。
 
寄稿:保立道久(歴史家/東京大学名誉教授)
 
現在、世界に立ちはだかるコロナ災害は、価値観の大きな転換を社会にもたらしつつありますが、9年前の福島第一原発事故も、多くの人々の考えに変化をもたらしました。今号では、歴史家の保立道久さんにご寄稿いただきました。
 

【NO NUKES PRESS web Vol.032(2020/08/27)】Opinion:原発事故から10年 ー 火山地震神話の研究をしてきました。 寄稿:保立道久 @zxd01342(歴史家/東京大学名誉教授) https://pic.twitter.com/Syx9vS81se http://coalitionagainstnukes.jp/?p=14209

 
 

いまちょうど倭国神話の神スサノヲが火山神であるという研究結果がでたところですので、まずそれを報告することにします。
 
スサノヲの父はイサナキ、母はイサナミです。ところが、イサナミが御産のときに死んでしまい、イサナキは彼女を蘇らせるのに失敗してしまいます。スサノヲは父親を憎んで母を恋いしたって「哭(な)きいさちる」、つまり泣き叫びます。そしてスサノヲは海の神だったわけですが、その役割を抛棄(ほうき)して姉のアマテラスのいる天に駆け上ります。「姉ちゃん! 父さんがいじめる」という訳ですが、『古事記』によると、そのとき、天に上昇するスサノヲは「山川ことごとく動(とよ)み、国土みな震(ゆ)りぬ」という衝撃をもたらしました。山川の全体が鳴り動き、国土がドーンとゆれたというのです。これは明らかに地震です。さらに『日本書紀』には「溟渤(おおきうみ)以て鼓(とどろ)きただよい」ともあるのですが、これは確実に津波です。
 
ポセイドンというギリシャ神話の神をご存じと思いますが、ポセイドンも海の神であり、同時に地震の神でした。スサノヲとポセイドンは同じ種類の神なのです。私は、これは小学生も知っていた方がよいのではないか、地震列島に棲む列島人にとって必要な知識体系の一部ではないかと思います。
 
さて、これまでよく分からなかったのはスサノヲが火山神かどうかということでした。寺田寅彦はスサノヲが天に駆け上ったときに山の木が枯れたというのは火山噴火のアナロジーだといっていますが、これだけでは論拠にはなりません。論証できるとしたら、スサノヲ神話の本場の出雲が東に伯耆大山、西に三瓶山(さんべさん)をもつ火山国であったこととの関係をたどれるかどうかです。『風土記』には、出雲国は巨人の神が海の向こうから引いてきた国だとありますが、その引いてきた国をこの東の大山と西の三瓶山に杭をうって動かないように留めたとあります。出雲の人々は、この二つの山を出雲の国柄に関わる大事な山と考えていたことは確実ですが、ただ、この二つの火山はいわゆる休火山ですので、神話時代の人々がこの山が火山であることを知っていたかどうかというところから論証していく必要があります。
 
まず伯耆大山については『出雲国風土記』に「火神岳」とありますので火山とみられていたことは確実です。問題は三瓶山です。この山は、出雲大社の裏山の眺望台から綺麗にみえる山です。一昨年に出雲大社を訪ねたのですが、そのとき、この山が火山である以上、あるいは出雲大社は火山神話をもつ神社なのではないかと考えました。しかし、三瓶山が火山であることが知られていたかどうかは難しい問題で、ここ一年ほど考えあぐねていました。ところが偶然に島根県立三瓶自然館という自然系博物館のホームページをみたところ三瓶山山頂には80cmほどの山頂火山灰が分布しており、その年代がC14年代法で600年前から1400年ほど前と推定されていることを知りました(「三瓶自然館研究報告」二号、福岡考論文)。また史料を探しましたところ、1029年7月8日に三瓶山の東麓の須佐(すさ)郷に「赤雪」が降り、野山の草木が枯れたという史料がありました。これは7月のことですから、雪ではなく火山噴火にともなう降下火山灰であることは確実です。また火山噴火で草木が被害をうけたという史料はほかにも多いのです。11世紀までは三瓶山は一定の頻度で噴火していた可能性が高くなりました。
 
さて、スサノヲはアマテラスとの喧嘩に負けて天を追放され、出雲の斐伊川の川上に降りました。そこで八又の大蛇からクシナダ姫を救い、斐伊川の東の支流の須賀郷に宮を作って「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」という歌を詠んだといわれています。『風土記』によると、その後、スサノヲは出雲国の処々を巡行して、最後に同じ斐伊川の西の支流の上流の須佐郷に須佐神社を立てて鎮座したとされています。この須佐郷が、右にふれた1029年の三瓶山噴火で被害をうけた三瓶山東麓の須佐郷と同じ村なのです。
 
もし本当に『風土記』から想定されるように、スサノヲの最後の地が須佐郷であり、だからスサノヲは「スサの男」と呼ばれたのだということになると、スサノヲが「遂に根国に就(い)でましぬ」というのは、スサノヲが火山の地下の国に行ったということになります。そしてその火山は三瓶山であったということになります。
 
よく知られているように、オホクニヌシはスサノヲのいる「根の堅州の国」(根の鍛(かた)すの国=地下のバルカンの国という意味です)に行ってスサノヲの娘のスセリ姫とともにそこを脱出してきます。これも火山の地下であることは、地下世界を脱出したオホクニヌシが「黄泉ひら坂」という長大な坂を下って逃げたと『古事記』にあることに明らかです。地下を脱出して坂を下って逃げたというのですから、これは火山頂上の火口から脱出して山を駆け下りたのです。
 
以上が、スサノヲは火山の神であるという理由ですが、そうだとすると「八雲たつ」というのは火山の噴煙ではないかと思います。これはスサノヲ神話のみでなく、『出雲国風土記』の冒頭に、八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノミコト)という出雲の祖神が述べたとされている出雲の枕詞です。この元の形は「八重雲」だったのでしょう。つまり、天孫降臨神話は天孫ニニギノミコトが、大噴火を起こした霧島火山の噴煙に乗って「天の八重雲」を押し分けて降臨してきたという神話ですが、出雲の「八雲立つ」の八雲は五七調の歌にあわせるために「八重雲」を「八雲」に変えたのだと思います。
 
 
 
さて、私は、3.11の後に地震史・火山史の研究を始め、そこを切り口にして神話研究の世界に入りました。その結論は、倭国神話は火山地震神話だということです。ここではスサノヲの神話を例としましたが、そもそも倭国神話の祖神である高御産巣日(タカミムスヒ)という神はギリシャ神話のゼウスと同じく、巨大な雷電の使い手で、雷電によって火山噴火を起こす神です。ギリシャと日本列島はどちらも火山地震地帯ですので、神話も似てくるのです。
 
日本の学者の中で、正面から日本の神話を大事にすべきだという人はきわめて少ないと思います。人々も神話に興味をもっていません。私が想起するのは、3.11の直後、「安全神話」という言葉をしばしば聞かされたことです。日本社会では、決定的な問題の修飾語として宗教的な意味をもった言葉が使われることがあります。たとえば第二次大戦の敗戦後に使われた「一億総懺悔」という言葉、「国民みんなが悪かった」という言葉です。「安全神話」というのもそれと同じで、「安全神話」に流されていたんだなどというように、事態の経過や責任を曖昧にする力をもって流通しているように思います。人々は原発事故について怒り、批判する場合も、まずそれを神話のように信じ込まされていたことに驚き、そこに自分たちの反省を重ねようとしているようにもみえました。
 
こういう一種の愚直さは、「無宗教」といわれる、この列島に棲む人々の意識のあり方に関係するのでしょうか。現実には、原発が安全であるというのは無知への堕落であるか、金に飽かせた宣伝の効果であった訳ですから、率直にいって、私はそこに「神話」という言葉をもってくるのは罰当たりだ思います。ただ客観的にいえば、このような言葉遣いは、人々にとって「神話」というものが他人事であり、神話が文化の外に存在していることを示すのでしょう。このような文化の非神話化は、いうまでもなく、アジア太平洋戦争を引き起こした日本の天皇制国家が、皇国史観といわれる神話イデオロギーによっておおわれていたという事情です。その解体が日本社会から文化としての神話を一掃してしまいました。
 
しかし、現在になってみれば、皇国史観は「アマテラス=万世一系の天皇」というイデオロギーに過ぎず、アマテラス中心主義イデオロギーによって倭国神話の実態を隠したというのが事態の本質です。それは明治以来、神話研究の自由を抑圧して紋切り型を繰り返してきたことの結果でした。私は、3.11の震災と原発事故を経験した人文科学にとっての一つの再出発点は、以上のような倭国神話の実態を否定しがたい形で明らかにすることにあると考え続けてきました。倭国神話が地震や火山噴火などの地殻災害の神話的な反映であるとしたら、今こそ、日本近代が神話の実態を明示する研究を発展させることができなかった歪みを取り戻すべき時だということです。
 
「神を信じるものも信じないものも」という言葉がありますが、それは神話的心情あるいは神道的な心情についてもいうべきことではないでしょうか。現代日本では神話的心情あるいは神道的な心情といっても、その実態は簡単なものではありませんが、しかし倭国神話が火山地震神話を軸とする自然神話の色彩を強く帯びていること、また神道がそのような火山地震神話をふくむ神話時代以来の自然崇拝のシステムを受けついでいること、それらを事実として確定することは、「皇国史観」とアジア太平洋戦争以来の歴史意識の負債を精算することにつながるでしょう。これは一例ですが、この10年の経験は、私たちがこの国の宿痾から解き放たれるためには、すべてを点検し直す必要があることを示しています。
 
 
 
保立道久 <プロフィール> 
歴史家。1948年東京生まれ。1973年、国際基督教大学教養学部卒業、1975年、東京都立大学人文科学研究科修士課程修了、その後、東京大学史料編纂所助手から、史料編纂所教授、2005より2年間、史料編纂所長。現在、東京大学名誉教授。
著書は『現代語訳 老子』(ちくま新書)、『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)、『中世の国土高権と天皇・武家』(校倉書房)、『日本史学』(人文書院)、『物語の中世』(講談社学術文庫)、『かぐや姫と王権神話』(洋泉社新書)など。本来は中世の「社会史」の研究者でしたが、『老子』の注釈作業をした後、現在はもっぱら倭国神話論に専攻を変えています。日本史の通史や歴史理論について考えたことを無事に活字にしてから死にたいものだと思っています。
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