NO NUKES PRESS web Vol.015(2019/03/28)

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NO NUKES PRESS web Vol.015(2019/03/28)
NO NUKES! human chains vol.07:細美武士さん ロングインタビュー (聞き手:Misao Redwolf)
 
福島原発事故発生から8年経ちましたが、原発事故はいまも続いています。事故収束もままならず放射能の放出が続き、避難生活者も5万人と言われています(2019年3月現在)。圧倒的脱原発世論を無視し、愚かな現政権は原発を推進していますが、原発に反対しエネルギー政策の転換を求める人々の輪は拡がり続けています。【NO NUKES! human chains】では、ゲストの皆さんへのインタビューを通じ、様々な思いを共有していきます。
 
【NO NUKES! human chains】では、ゲストのかたに次のゲストをご紹介いただきます。Vol.07では後藤正文さんからご紹介いただいた、ミュージシャンの細美武士さん(the HIATUS/MONOEYES/ELLEGARDEN)のロングインタビューをお届けします。
 
古賀茂明さん吉原毅さん落合恵子さんドリアン助川さん島昭宏さん後藤正文さん細美武士さん


【NO NUKES PRESS web Vol.015(2019/03/28)】NO NUKES! human chains vol.07:細美武士さん ロングインタビュー(聞き手:Misao Redwolf) pic.twitter.com/sXwcuyijgU http://coalitionagainstnukes.jp/?p=12406

 
 

– インプリントされた核戦争の脅威 –  
 
Misao:細美さんはミュージシャンとしての活動だけではなく、原子力発電所の問題や東日本大震災の被災地に関する活動などをされていますが、原発問題に気づいた経緯をうかがいたいと思います。
 
細美:原発問題は東日本大震災の福島第一原子力発電所の事故までは、そこまで真剣に考えたことはなかったですね。もちろん、チェルノブイリの事故や第五福竜丸、ビキニ環礁の核実験のことなどは、大学生のころから見聞きはしていましたが、日本にある原子力発電所に対する問題意識は特にありませんでした。
 
Misao:チェルノブイリ原発事故などの情報は、どのように通り過ぎていったのでしょうか?
 
細美:自分は1973年生まれなので、東西冷戦まっただ中のころに中学生だったんですが、核戦争の脅威についてはすごく考えたし、核戦争が人類にとってのカタストロフだという強烈な認識がありました。当時は漫画やアニメでも核戦争後を描いたものが多く、『北斗の拳』なども核戦争後の荒廃した世界が舞台でした。夜中に突然目を覚ますと、夜空にものすごい大きなオレンジ色のキノコ雲が上がっているところを想像して怖くなるというような気持ちを、俺と同じころの中高生は持っていたと思うんです。核兵器や放射能汚染に対する恐怖が強い世代というか、体感したことはないけど、それがもっとも恐ろしいものだと考えていたような世代だと思うんですよね。だけど、それと原子力発電は直接的にはまったく結びついてなかったですね。
 
Misao:世相や問題意識が込められていて、影響力や伝達力のある漫画やアニメ作品ってありますよね。
 
細美:『はだしのゲン』などもそうですよね。それから『風が吹くとき』という漫画があります。田舎の老夫婦が核戦争のときに、あまり知識もない状態で、「戦争がはじまるとテレビで言っているぞ」と毛布にくるまって、核ミサイルがドーンと落とされる瞬間を迎えて、その後、汲んでためておいた水だから大丈夫だと飲んだりするうちに、放射能症になっていくという話なんです。最後は2人とも死んじゃうんですが、そういう物語を子供のころに読むと、おれは小学生のときに読んだんですが、強烈ですよね。『スノーマン』の絵本作家レイモンド・グリックスが1982年に発表した漫画で、日本では1987年にアニメーション映画で公開されています。監修が大島渚さんで、音楽がロジャー・ウォーターズでしたね。
 
Misao:『風が吹くとき』は知りませんでした。読んでみたいと思います。それで、核兵器と原発は直接的にリンクしないという意識のまま、2011年の福島原発事故を迎えたと。
 
細美:そうですね。
 
 
– 東日本大震災・手探りでの被災地支援 –
 
Misao:地震があったときや、原発が爆発したときはなにをされていましたか?
 
細美:地震があったときは、スタジオでEPのレコーディングをしていました。みんなですぐにテレビをつけて、地震と津波の状況を見て、これはレコーディングをしている場合じゃないということで、スケジュールを白紙にして帰りました。その後に、東京電力管内で輪番停電(計画停電)があったじゃないですか。なにが本当かわからない中で、東京都内の電力供給が東北地方を圧迫しているというような話が出たときに、レコーディングで使用していたSSLという機材はかなり電力を使うので、状況が落ち着くまで止めようという話になったのを覚えていますね。
 
原子力発電所の爆発のニュースは、何か買える物資がないかと思って行った、中目黒のドンキホーテで耳にしました。東北沿岸の避難所に物資を運ぼうとしていたんですが、ガソリンや補給物資がなかなか手に入らない状況でした。最初は原発事故の数日後くらいに北茨城の方に物資を運んだのですが、2重にしたマスクの内側に濡れタオルのような薄いものを挟むと、放射性物質を吸い込んで体内被ばくすることが少ないという情報を聞いていたので、そうしながら車で北上しました。
 
ガソリンは帰りの分を被災地で買うわけにはいかないので金属製のタンクに入れて、トランクの一番後ろにロープで厳重にくくりつけて行きました。北上して原発に比較的近いところに入って行くときに、俺はマスクをして運転していたけど、実際に地元のコンビニにたどりつくと、みんな普通にマスクも何もせず、当たり前にタバコを吸っていたんですよね(笑)。なあんだ、と思ってマスクを外したのを覚えています。当時は放射性汚染に関して話がすごく錯綜していたので、何が真実なのかぜんぜんわからないなと思ったのは覚えています。
 
Misao:東京もコンビニの商品が空になり水も買えなくなるという状況下で、よく物資が調達できましたね。
 
細美:友達のネットワークでお米を持ってきてくれる人がいたり、当時はお水やポカリスエット、紙おむつなどが特に足りていなかったんですが、スーパーで働いている友達に在庫分を回してもらったり、レコード会社の社長も協力してくれました。やがて、うちのバンドの機材車が物資でパンパンになって、第一便が出たのを覚えていますね。BRAHMANのTOSHI-LOWは「水戸駅に毎日立っているから、俺のところに物資を持ってこい」と呼びかけて、集まった物資をTOSHI-LOWの地元の仲間がピストン輸送していましたね。物資を集めることはそんなに大変じゃなかったけど、運ぶのと、どこに何を持っていけばいいのかという判断が難しかったですね。
 
たぶん、日本中の人がなにか手伝いたいという気持ちになっていたと思うし、特に自分の場合は、どこの土地の名前を聞いてもほとんどライブで行ったことがある場所なので。その土地でやったライブの映像も頭の中に残っているし、直接会って楽しい時間を一緒に過ごした人たちが、困難な状況にいる。当時はまだ『東北ライブハウス大作戦』も『幡ヶ谷再生大学復興再生部』も、『災害対策室』という自分たちのまわりのミュージシャンのネットワークなど、そういうものもぜんぜんなかったので、個人で動くしかない状況でした。
 
 
– 逃げるのではなくむしろ北へ –
 
細美:あのころは、一日に数百件のメールが届いていて、一日のほとんどの時間をかけて返信していました。中には自衛隊員からのものもあるし、病院勤務の人からのものや、避難所から直接送ってくれる子たちもいたので、現地の実際の声を聞くことができました。行政のように大きなことはできないけど、たとえば、近くの市役所まで届いている毛布が5km離れた避難所には届いてない。そこに今日の夜が寒くて大変な人たちがいるというような場合は、手伝えることはあるなとか、そういうことをよく考えていたような気がしますね。徐々にではありますが、自分たちにできることがわかってきました。
 
放射性物質の拡散に関して言えば、いわゆるVIPと呼ばれるような人たちのところには、「いつからいつまでの期間は関西より西に避難してください」みたいな話が回っているっていう話がありましたね。自分のところにも人づてで電話がかかってきました。まあ、出どころが全然わからないので、いわゆる都市伝説みたいなものだったのかも知れないけど。逃げたい人はもちろん逃げればいいし、自分に小さい子供がいればもちろんその子たちを優先にしたかも知れない。でも俺たちバンドマンなんて日本中のみんなと生きてきたのに、むしろ逆に北に行きたいなと思いました。ただ東電の発表ではまだメルトダウンはしていないということだったので、この後にもっと大きな爆発が来るのかもしれないな、と思って警戒はしていました。そうなったらとりあえず撤収しないといけないとか、屋内に避難しないといけないという話になるのかな、という風には身構えていましたね。
 
Misao:原発が爆発する映像は強いインパクトがありました。
 
細美:そうですね、あの映像を見た瞬間は、みんなトラウマになっているんじゃないのかな。特に、建屋が吹き飛ぶ映像を民放のニュースで見たときは、福島に、日本に大変なことが起きたなと思いましたね。物流が回復してきてからは、津波被害の大きかったところにがれきの撤去とか、泥のかき出しとか、そういうボランティアに行くようになりました。
 
あのころは自分がミュージシャンだとか、誰だとかそんなことを考えていた人はあんまりいなかったんじゃないですかね。そんなことは関係なく、助け合っていたんだと思います。自分は単純に一人の大人の男としてできることはなんだろうと考えました。もちろん自分の仕事もしながらなので体力的にはけっこうハードだったんですが、動いていた方が気は楽だったというのはありますね。
 
 
– 原発問題のリサーチ –
 
Misao:ほかにも、「東北ライブハウス大作戦』を企画されたり、坂本龍一さんが呼びかけのイベント『NO NUKES』に出演されたり、福島でもライブをされたりしていますが、それらを通じて何か印象に残るエピソードなどはありますか?
 
細美:印象に残っているエピソードというよりは、東日本大震災のあの日から、ずっと毎日が別のものになっていますね。
 
Misao:細美さんは、かつては核兵器と原発の問題が直接リンクしなかったとおっしゃっていましたが、福島原発事故が起こり、原発に対する意識はどのように変わってきたのでしょうか?
 
細美:福島によく行くようになったり、再生可能エネルギーのシンポジウムに出席したり、科学者や政治家や活動家の方たちとお会いしていく中で、より深く考えるようになっていきました。そうするうちに自分の中で生まれたのは、そもそも原発問題に関して賛成、反対というのは、どの視点からの発言かによってぜんぜん違う。事故が起きたから止めましょうというのはもちろん起点なんだけど、自分はそもそも、原子力発電にまつわる歴史や経済、環境のことなど、さまざまな側面をひとまとめに論じられるような知識がなかったので、まずはそういったことをもっと知りたいと思いました。
 
原子力発電とは一体なんなのか、ほかの発電方法とどう違っているのか、そもそも日本の電力問題とはなんだろうとか、そういうことを一つにまとめて理解したいなと。たとえば、日本が分離プルトニウムを保持さえしていれば、2週間もあれば核爆弾を作れるということが、中国や北朝鮮に対して国防的な観点からプラスだという発想をしている人もいたりして、そういうことも含めて、もう少し全体的に原発問題を考えてみたいと思ったんですよね。そこで、バンド仲間のラッコってやつのお店で、『ラッコでもわかる原発問題』という会を開いてもらいました。
 
東北ライブハウス大作戦のユーストリームで公開しながらやったんですが、俺はそういうものは楽しく作るのが好きなので、いつものラッコの店で、みんなで軽くお酒を飲みながら俺がプレゼンをすることを決めて、原発のリサーチをしたんです。1880年代に最初にできた電力会社「東京電灯」が元になり、サンフランシスコ条約の発効とともに現在の9電力会社にどのように分離していったのか。あるいは、戦後の旧財閥解体とか発電と送電がなぜ一つの会社になっているのか、なぜ電力に統括原価方式が採用されているのかなど、そういうところからはじめました。日本の電力のことを知らなければ、原発についても論じられないと思ったんですね。その当時しばらく原発のことを調べたのは、自分の原発観にとって一番大きな変化でしたね。
 

– 政治家の権力拡大とレントシーキングのサークル –

 
細美:原発産業って、日本のように石油資源が乏しい国で、また年間23%も物価指数が上昇するみたいな激しいインフレーションの最中に、未来のエネルギー指向のために技術者たちがなんとかして開発したもの、とかじゃないじゃないですか。
 
マンハッタン計画でウランからプルトニウムを分離するためにシカゴ大学で作られた、シカゴ・パイル1号(Chicago Pile 1/CP-1)という世界初の原子炉は、発電目的ではなくて、核兵器を作るための炉だったわけですよね。プルトニウムを分離する過程で大量の熱が発生するので、第2次世界大戦後に、開発した技術を発電用に民生化しようとしたアメリカの思惑があった。アイゼンハワーがアトムズ・フォー・ピース演説をしてIAEAが作られていく中で、日本ではまだ当選5期目だった中曽根さんが正力松太郎と組んで、政治とメディア主導でアメリカの原子力政策を日本国内に広めていったと認識しています。
 
軍事産業の民生転用というのかな、政治家の権力拡大とレントシーキングのサークルができあがって、それぞれが自分にとってプラスになると思ったことだけで動かしてきた。確かに原子力発電、特に核燃料サイクルが本当にこの国のエネルギー政策を救う夢の技術だと純然と信じて、熱意を燃やした技術者もたくさんいたと思います。特にオイルショックを経験した世代ならなおさらだと思います。ただ、事の本質が原発村のレントシーキングなので、当時の原子力推進政策が間違っていたことを中曽根さん本人も認めていようが、再生可能エネルギーの方が汚染も少なく、持続性の高いものであろうが、そもそもクリーンかクリーンじゃないかでやっていない原子力村の人たちに通じるはずもなく、そんな話をしてもしょうがないじゃないかという感覚が、俺はすごくあるんですよね。
 
これからどっちに向っていくんだろうというのはあるし、2018年は日米原子力協定の更新の時期だったじゃないですか。再協議がないまま日米原子力協定が更新されたので、トランプ大統領が止めると言うだけで半年後にはウランが入ってこなくなる。原発輸出が暗礁に乗り上げ、核燃料サイクルはどうやら実現不可能だという現状を加えて考えると、原子力発電に未来はもうないんだと思います。その上で個人的な意見を言わせてもらえるとすれば、代々受け継いだ土地を追われた人たちがいる。家族と離れ離れにならざるを得なかった人たちがいる。美しい故郷を今も取り戻せない人たちがいる。ひとたび事故が起これば採算性すら担保できないなんて、そりゃ原発なんてこの先は一基もいらないですよね。大気汚染の問題や雇用に関しては、原発以外でも解決策は見つけられるはずです。
 
 
– 情報の二極分化 –
 
細美:第五福竜丸の事件などがあって、国内世論が反原発に傾くたびに、正力さんは読売の社主でしたし、マスメディアが「原発はクリーンエネルギー」「原発安全神話」というのを作り上げていった経緯があります。今だとヤフーニュースとかのコメント欄みたいな、ああいうところで簡単にふんわりとした世論の形成は作為的にできるんだなと思います。
 
ある一定の層に対して、保守的なニュースばかりを検索結果で引っかかるように手を加えたものを開示し続けたときに、その人が保守層に思想が変化していくというような実験があって、そんな実験を行っていたグローバルサイトが問題になったりもしました。昔はニュースソースをそこまで自分好みにカスタマイズできなかったと思うんですが、いまはみんながスマホを使って、自分が好んで読むニュースを積極的に表示するようにできる。
 
そうすると、「原発がないと電気がなくなって困るじゃん」くらいにしか考えてない人にとっては、みんながそう思っていると錯覚するようになって、すごく簡単に、ふんわりとした集団を形成できるんだろうなという気がします。自分のスタンスはどうなのか考えてみると、自分が見ている、自分の携帯に出てくるニュースソースだって、あなたへのおすすめが反映されているわけだから。やはり、自分に心地よいソースばかり拾っちゃうようになるのもよくないなと思いますよね。
 
対立する2つのグループに分かれてどちらかに帰属するのは敵も明白で心地よいのかも知れないけれど、本来どちらも同じ島国の同胞じゃないですか。いまの保守と言われている人たちとリベラルの人たちとの議論のあり方もそうなのではないかと思います。これってレントシーキングをしている、自分たちだけで回路を小さくつくっている、原子力で言えば原子力村の人たちにとっては一番楽な状況だと思うんですよね。だから、本当は賛成派が知っているソースのしっかりした事実と、反対派が知っているそれをお互いが共有して、じゃあどうすれば合意形成ができるのかっていう方向に進んでいくのが一番相手にとってはイヤなんだろうなと思うんですけどね。賛成派と反対派に別れてやっているのは多分、思うつぼなのではないかと思います。
 
 
– 蛹(さなぎ)の中の融合 –
 
細美:見方によれば安倍さんだって誰かのマペットなわけでしょということもあるし、逆にいえば日本の主権なのか自治なのかはわかりませんが、当然アメリカの影響下には強くあるわけで、原発の問題に関しても国内の政治家だけでどうこうできる問題でもないはずなんですよね。じゃあ、それを陰謀論的に考えて結局、日本なんて全部アメリカの言いなりで何をやったってムダさ、なんてことは微塵も思っていませんが、ちゃんと自分の頭で考えた国民の総意で間違った選択をして滅びるなら、百歩譲ってそれはしょうがないと自分は思っています。
 
でも、今際の際に多くの人が、「えっ!ぜんぜん知らなかった」となるのはもったいないなというか、ごく一部の人たちの利益のために、なんていう構造ではない未来に向っていくべきだと思うし、そこまで人類はバカではないんじゃないのかなとも思っています。楽観的すぎますかね(笑)。こんな理論があります。蝶や蛾の幼虫である芋虫は羽化するために自分の周りにある葉っぱを無制限に食べてしまう。もし、幼虫たちが成虫にはならず、芋虫が成体としての生き物だとしたら、周囲の食料を食べ尽くしてしまって、個体数を維持できないそうです。
 
つまり彼らは成体になるという前提があって、幼体で過剰消費をするようにプログラムされている。人類も同じで、羽化する前の人類とはこういうものだという理論です。幼虫が蛹(さなぎ)になると蛹の中で、内蔵も脳もすべて溶けて一度ひとつの均一な液体になる。原子力村の人たちや、統制できる立場を利用して自分たちの超過利益を生もうとしている人たちは、ただ何も考えていないだけで彼らの仕事は食べ尽くすことだけ、これは羽化の前の段階なのだと。もちろん鵜呑みにはしてないですよ(笑)。でもその説を語った学者の輝く瞳を見ると、そういうものの見方もあるんだなあ、と思うわけです。だからなおさらどちら側の人たちの話も聞きたいと思うし、「バカなこと言ってないでまあ座って飲めよ」みたいな感じで、人間の不完全さそのものは愛せるな、って思っています。
 
かといって、起きていることは深く知りたいというポジションは崩さずにいたいです。その結果、「原発に対しておまえはどうなんだよ?」と言われれば、利権がすべての人たちは、リジェネ(再生可能エネルギー)でものすごいお金を儲ければいいんじゃねぇの?という感じです。
 
Misao:蛹の中の融合のお話で思い出したんですが、2012年ごろだったか、脱原発のデモの最盛期に、日本原子力学会の『アトモス』という推進派の会報にでないかと、知り合いの推進派の学者が紹介してくれて、編集長に会ったことがあります。編集長も乗り気で、私の所属する首都圏反原発連合(反原連)の同意も得て、私自身も是非にと思ったのですが、なんの理由かはわかりませんが、企画が倒れたことがありました。活動の中でいろんな企画がでては消えゆく中で、あれは相当もったいなかったなですね。
 
おっしゃるように、たしかにいまでは原発は推進するほうが難しい状況で、いくら政府が推進しても実質的には脱原発に向かっていると思います。3.11の原発事故の後は脱原発が国民世論の主流だし、普通に考えたら危なくない発電の方がいいよね、ほかに発電方法があるのであれば原発でなくてもいいよね、という人が多くなるのはあたりまえですよね。国際的にも再エネが安くなり主流の軸足が移ってきていることもあり、安全対策のため高い費用がかかる原発は衰退しており、政府の原発輸出政策もすべて暗礁に乗り上げています。後はどれだけ早く、政策として転換するのかというところなのではないでしょうか。
 
 
– デモについて –
 
Misao:そうは言っても原発問題に関しては、福島第一原発の事故の後は様々な思いで、いままでデモに参加していなかった人たちがデモに参加するようになって、私たちが呼びかけた首相官邸前での抗議も、2012年の夏にものすごく参加者が増えて、当時の野田首相と面談したり、その後、民主党政権が「2030年原発ゼロ」を決定したり、市井の人々の声が政府を動かす一翼になったこともありました。後藤正文さんはこの官邸前抗議に参加されたことがあるんですが、細美さんはデモや抗議などの直接行動に参加されたことはありますか?
 
細美:あります。安保法制のときが一番多く顔を出していましたね。元SEALDsの奥田愛基くんとは知り合いなので、その活動をどんな感じかなと見に行っていました。自分の友人に台湾のバンドマン、「滅火器(Fire EX.)」という人たちがいます。彼らは台湾のひまわり学生運動の英雄です。学生たちが立法院を占拠して寝泊まりしていたとき、交代で食事もろくに取れず、風呂にも入れずという状況で、自分たちを応援してくれる曲を作って欲しいと依頼されました。そうして彼らは「この島の夜明け」という大名曲を生み出し、その年の台湾の音楽祭で最優秀賞を受賞したんですが、中国本土でも中継されていたその番組は、その瞬間だけ放送が途切れて真っ黒な画面になったそうです。
 
当時、国会正門前で安保法制反対運動が大きくなっているときに、そのバンドのボーカリストである楊大正(ヤン・ターツン)、英語名はサムというんですが、彼が日本に来ていたので一緒に行ったんですよ。彼にとってデモはずっと目にしてきたことだし、実際に政府の決定を覆すことさえできるということをよく知っているので、日本のデモにもすごく期待をしていたんでしょうね。その彼の最初の感想は「若い人たちはどこにいるんだ?」でした。日本のデモは年配の方がすごく多いと思うのは自分も同じです。若者で埋め尽くせというわけじゃないですが、彼の言わんとしていることはわかりました。
 
Misao:2011~12年の脱原発デモのピーク時には、若い人たちも結構いましたが、運動が長引くとどうしても参加者が減るのに伴い、高齢者がメインになってきています。2015年安保もアイコンはSEALDsの若い人たちなんですが、労組の年配のかたたちも相当頑張っていましたよね。デモの業界に関しては、2011年から2015年に繋がる無党派市民運動の感じがいまは少し見えなくて、空洞化しているように感じています。もちろん、無党派でがんばっている人たちはたくさんいるのですが、大規模なアクションは労組関係が多くなってきています。2011年以降の脱原発無党派市民運動を参考にしながら、自分たちのやり方でがんばっている感じというか。
 
細美:江戸川区であった、たしかあれも反原連の集会だったと思うのですが、そこですごく久しぶりに大学の先輩にあって、「おー武士」と声をかけてくれたことがあったんです。
 
Misao:あれは、反原連がこれまで融合できなかった、連合の総評系の平和フォーラムが事務局の「さようなら原発1000万人アクション」と共産党系の「原発をなくす全国連絡会」に声をかけ三者で共催してやっていた、『NO NUKES DAY』の何回目かの集会ですね。あの時は蚊によるデング熱問題があって、江戸川区に会場を移したんです。
 
細美:そうだ、代々木公園が使えなかったときだ。
 
Misao:そうなんです、代々木公園は危ないとされていて。私たちはポピュリストで、デモへの参加は安全であるべきで、なるべく一般の常識にのっとって運営したいという方針があるので、デング熱が心配される中で野外での呼びかけはできないと考えました。三者で話し合いましたが意見が合わず、反原連はその回は主催を降りたんですね。だけど、労組の動員を下ろしているとかで、「さようなら原発1000万人アクション」主催で会場を変えて開催したという経緯があります。当日、私は挨拶にうかがったんですが、細美さんたちのエセタイマーズのライブを観ましたよ。
 
細美:そのときに大学の先輩に久々にあって、「お疲れ様です、組合ですか?」と聞いたら先輩が「そうなんだよ」と。そんな感じでしたね。
 
Misao:「さようなら原発1000万人アクション」は労組と無党派市民で運営されていますから、そんな感じですよね。その体制でいまでも年に2回は代々木公園などで大集会をやってがんばっておられます。
 
 
– 楽しいチャリティーを –
 
細美:たとえば立憲民主党を応援している人の中でも、支持母体の連合がなんのことか知らない人もいるわけですよね。そういうところをもっとみんなで話すことができたら、国民の最大の権力行使である投票という行動につながっていくと思うんです。それに向かってもっとビッグピクチャーでものごとを見るには、賛成、反対、保守、リベラル、革新の垣根を越えた感覚を持ったものづくりみたいなものが進んでいけばいいのになという気持ちがあります。山口県の原発反対の集会に行ったときも、自分のコメントには賛成派の人も全然気にせず遊びに来てほしいと書いたんです。そこでゲバみたいになったら最悪ですが、自分はミュージシャンなので、歌を聴きに来てくれるだけでもいいと思うんですよね。そういうふうにチャリティーを作っていけたらいいなと思います。
 
原発に対して自分の立場は反対です。だからと言って賛成派の人にまるで逮捕状のように、こうこうこうだから原発はない方がいいんだ、と突きつけるだけじゃ何も変わらない。自分が間違っているかも知れないという可能性は、お互い常にゼロにはならないですから。それから、ライブを頼まれたりして反原発の集会やチャリティーイベントに行きましたが、すごく専門知識を持ったキャリアのある人たちが、ものすごく長くて眠くなるような話をしていて、これではいくら話をしても多くの人には伝わらないと思ったんですよね。自分たちの活動をこんなにがんばっているんですよ、と聞かされても関係者以外の人はなんとも思わないと思うんです。
 
だから、まずは楽しかった、行ってよかった、面白かったなというチャリティーを作って、その中で個々、自分たちが持って帰りたいものを持って帰れる。誰かの熱意を目の当たりにするだけでもいいかもしれないし、知識を持ち帰ってもらうのでもいいし、願わくは対話で解決ができなくなる前に、意見の異なる人同士がどのようにしてお互いの考えや意見を活かし合うことができるのか、そのヒントを探せるようなことをしたいと思いました。震災後にみんなチャリティー、チャリティーと言い出したときに、チャリティーってどう意味か俺は知らないなと思ったので、チャリティー学の本を買いに新宿の紀伊國屋に行きました。そのとき買えたものは洋書が4冊、日本語で書かれたものは1冊でした。
 
学術論文もたくさん出ているんですが、自分が参考にしたのは、チャリティーの作り方には2種類あって、アフリカの飢饉を例にとると、一つは実際に栄養危機に直面し、痩せ細っていて、あとどのくらい生きられるかわからない子供の現状の写真を見せるようなもの。もう一つは家族で参加できるピクニックのようなものでとても楽しかった、ただ、そこで得た情報は家に帰ってもっと調べてみたくなるようなものだった、という作り方。そのどちらも効果があるという論文を読んだときに、まずは楽しい方を作ってみたいなと思ったんですね。まあ俺が真面目な話を聞いているとすぐ眠くなっちゃう性分だってだけかも知れませんが。
 
 
– 自分たちの世代の責任 –
 
Misao:今でもいろいろな活動を継続的に取り組まれていますが、この先も続けていかれるのでしょうか?
 
細美:そうですね。自分の生活にかかってくる問題なので、続ける、続けないではなく、知りたいことは調べるしね。幸いなことに自分は、今日のインタビューのようなこともそうですし、専門の方とお話しする機会もあるので、その中でたくさん教えてもらいたいし、津田くん(津田大介)なんかに会うと質問攻めにしちゃったりするんですが、そういうことを続けていくことは単純に当たり前のことだと感じています。
 
みんなの英語力って昔に比べると、かなり上がっているじゃないですか。学校の英語の先生が実際には英語を話せなかったころから比べると、力を入れているようにも感じます。英語力が上がればグローバルなニュースメディアを見られるようになるし、その流れは加速していくんじゃないかと思っています。ただそれでも、自分たちの世代の責任というものはあると思っていて、俺たちはいわゆるバブル経済のピークを10代のときに経験させてもらっているじゃないですか。六本木でタクシーをとめるときに手のひらを開いて「5万円」と提示しないと、タクシーがとまらなかった時代があって、キャバクラで目当ての女の子にサラリーマンが車をプレゼントするような。
 
Misao:なにかすごかったみたいですね。ちょうどその時期、私は日本にいなかったんでその実感がないんですが、いろんな人に聞くとすごかったようですね。
 
細美:俺はまだ子供だったし、田舎育ちなんですが、まあどこに行っても何らかの仕事はあるし、全体的にお金もなんとなくあるという時期を、何も考えずに過ごしてきたわれわれの世代の責任があるんじゃないかと考えています。過剰消費のツケもそうだけど、新しく生まれた技術であるインターネットをこういう方向に発展させたのもそう。いまネットネイティブに生まれた子たちの中に、在日朝鮮人のことを口汚く言う子がいたとしても、「みんなそうしているよね」ぐらいの感覚で、必ずしも選択してそうなったわけじゃない面もあるんじゃないかな。そういう、悪くなっていく部分をボケーっと見ているわけにはいかないよなと思います。
 
また同じ話ですけど、自分はミュージシャンなので、「まぁ、いいからこっちに来て飲めば」的な切り口から、今日みたいな話題をそれでも楽しく話せるといいなと思います。
 
 
– 全部自分で決める –
 
Misao:最後に、細美さんが意識的に大事にしていることはなんでしょうか?
 
細美:大事にしているというよりは、昔からそうしないと納得がいかなかったことがあります。それは全部自分で決めたいということです。失敗するにしても自分で決めて失敗したいし、人にこうしなさいと言われて行動するのでも、まわりの人がこうしているからでもなくて、なにをするにしても自分で決めたいんですよね。それは、すごく格好つけていえば、人のせいにしたくないということです。なにか、たとえば先生の言ったとおりに勉強して大学に行って就職したのに、会社が潰れたなんていうときに、「先生の言うこと聞いていたのに」っていうのは嫌でね。いやいや、それはお前が自分で考えてなかったからだろうと思うしね。
 
きれいに言えばそうだし、もう少し正確に言えば、自分がやりたいようにやりたいんですよね。当たり前だけど、自分の行く道は自分で選んだ方が楽しいじゃないですか。もちろん、自分はそもそも人の言うことが聞けないということもあるんですが、そのやり方が間違っていると思ったことはありません。以前、TOKYO FMの『未来の鍵を握る学校 SCHOOL OF LOCK!』という番組に出演したときに、「日本中の受験生や若い子に向けて、細美さんから最後になにか一言ありますか」と言われて、「あまり人の言うこと聞きすぎない方がいいよ」って黒板にチョークで書いたことがあります。それを自分の人生を使って、最後まで証明するような生き方ができたらいいですよね。
 
Misao:「自分の人生を使って、最後まで証明する」ってフレーズ、カッコイイですね(笑)。「自分で決める」ってことは私も同感です。反原発の活動も結果がどうであれ専念すると、誰に押し付けられたわけでもなく自分で決めたし、もちろん原発事故の被災者の方の苦しみも理解しようと心がけるし、こういうふうに社会を変えたいというビジョンや理想もありますが、結局は、自分が死ぬときに後悔したくないというか、誰かのためにではなく究極的には自分のためにやっていると思っているので、いまのお話は自分にもシンクロしました。でもたぶん、格好つけたくないから、そう言っている部分もあるわけじゃないですか。
 
細美:でも、実際にそうだと思いますよ。油断すると、「俺偉いだろ、いいことやっているだろう」みたいな気分になっちゃいそうなところもあるし。そんな人間にはなりたくないなというのはありますよね。このインタビューを読んでくれる方がご存じかどうかはわかりませんが、シカゴ大学でシカゴ・パイル1号という世界初の原子炉を作ったイタリア人の科学者エンリコ・フェルミは、原子炉が完成した日に、「今日という日は暗黒の日として人類の歴史に刻まれるだろう」という言葉を残したそうです。エンリコ・フェルミの言った言葉が本当にならないように、いろいろな闘い方がみんなにあると思うんですよね。
 
もちろん自分の正義を疑うことなく、闘い続ける人もいないといけないと思います。かといえば、「まぁまぁ」とそれを横から見ながら色んな人の話を聞く、その人だって実は自分の中に強い信念を持っていて、「本当に変えたいなら闘い方を選ばないと」と思っていたりする。諦めちゃうのははイヤだなと思っているので。そんな感じです。
 
 
(2019年1月15日:東京都渋谷区にて)
 
 
細美武士 <プロフィール>
ELLEGARDEN活動休止後、the HIATUS、MONOEYESを結成。ジャンル不問の新しい音楽を追究し続けている。BRAHMANのTOSHI-LOWとのユニット、LOW-ATUSでは各地で弾き語りを行うなど、多岐に渡る活動を繰り広げている。2018年には10年振りにELLEGARDENが再始動。
OFFICIAL WEBSITE(http://www.takeshihosomi.com/


<予告>NO NUKES! human chains vol.08
このインタビュー・シリーズでは、ゲストのかたに次のゲストをご紹介いただきます。細美武士さんからは、ミュージシャンのTOSHI-LOWさん(BRAHMAN)をご紹介いただきました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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