NO NUKES PRESS web Vol.010(2018/10/25)

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NO NUKES PRESS web Vol.010(2018/10/25)
 
Report:“悪魔“と私 – ディアブロ・キャニオン原子力発電所
寄稿:キャロル久末(作家/アクティビスト・『マザーズ・フォー・ピース』スポークスパーソン)

 
FMラジオのパーソナリティーなどで日本で活躍したのち、アメリカに移住したキャロル久末さんに、ディアブロ・キャニオン原発と反対運動について寄稿頂きました。福島原発事故を経てもなお原発をやめない日本。さて、アメリカは?


【NO NUKES PRESS web Vol.010(2018/10/25)】Report:“悪魔“と私 – ディアブロ・キャニオン原子力発電所 寄稿:キャロル久末(作家/アクティビスト・『マザーズ・フォー・ピース』スポークスパーソン)http://coalitionagainstnukes.jp/?p=11485 pic.twitter.com/WxwgxUEX3o

 
 

―“悪魔”と私―
 
約30年間、東京でメディア関係の仕事にどっぷり浸かっていた私は2004年に日本を離れ、数年間の放浪生活を経て、アメリカは中央カリフォルニア海岸近くの牧場で暮らすようになった。オークの原始林、なだらかな山々、涼しい海風に囲まれた天国の一角のような場所だ。ここ、サンルイスオビスポ・カウンティ(サンルイスオビスポ郡)は観光、世界レベルのワイナリー、農業、畜産業や漁業で知られている。福島のように。
 
そして、かつての福島のようにこのカウンティの経済も原発に依存している。
 
引っ越して来た頃は原発や核産業のことは何も知らなかった。勿論、知っているつもりだったが。ラジオ時代のスポンサーの一つだったTEPCO(東京電力)が原発を運営していることすら知らなかった!(恥ずかしい~!)日本語で「知らぬが仏」と言うフレーズがあるが、英語だと「Ignorance is bliss = 無知は至福」。自給自足の生活を求めてやって来た私は毎日が幸せでいっぱいだった。「わー、ここはエデンの園!」土地は美しく、空気も、ここで育てた食材も美味しい。水不足の州でもここはいい水が豊富だった。でも、エデンの南には地獄があったのだ。
 
その名も「悪魔の谷」ディアブロ・キャニオン原子力発電所(DCNPP/DCNP)。用地はスペイン植民地時代に「ディアブロ(悪魔)の谷」と命名された場所だ。
 
最初は「牧場から10キロ近くに原発があるの? 嫌だなぁ。でも、地域の活動家と一緒に、閉鎖を求めればいいんだよね?」と信じられないほど気軽に考えていた。2011年3月11日までは。
 
日本から流れて来る福島第一原発事故の情報で目覚めさせられた私は4月に地元で行われたデモに参加し、イベントの主催者、マザーズ・フォー・ピースのメンバーを探し出した。福島、日本から多くの情報が世界へ発信されている時期、もしかしたら、翻訳などでお手伝いできるかも、と思ったからだ。
 
でも、手助けするどころか、私の方が彼らにどれほど教わり、励まされたかわからない。私の原発や核産業についての教育の始まりだったのだ。
 
「原発はお湯を沸かすための最悪の方法」から始まり、核燃料サイクル、使用済み燃料、核兵器とのコネクション・・・・・・・・・学ぶことはいっぱいあった。マザーズ・フォー・ピースのメンバーも皆、昔は独学で学んだことだ。
 
サンルイスオビスポ・マザーズ・フォー・ピースはベトナム戦争を反対するために結成された地元の草の根活動家団体だ。2011年にはすでに40年間も原発にも反対し、DCNPPの監視者的な役割も果たしていた。法的仲裁者として法を活用し、DCNPPの閉鎖を求めると同時に安全な運営を確保するためにも働いていた。
 
 

―ディアブロ・キャニオンの問題多き歴史―
 
DCNPPの運営者パシフィック・ガス&エレクトリック(PG&E)は1953年に発案された「Atoms for Peace (平和のための原子力)」計画の一員として、発電システムとしての原子力を追求する何社もの公益事業の連合に参加していた。
 
当時、彼らの狙いは原子力の巨人になることだった。すでにイリノイ州のドレスデン原発を設計、製造するコンソーシアム(共同事業体)の一社で、サンフランシスコ南のバレシート原子力施設をジェネラル・エレクトリック(GE)と建設した。カリフォルニア最北端のハンボルトベイ原子力発電所は独自に開発、建設。PG&Eは「未来は原子力だ」の神話を完全に信じ、サンフランシスコのど真ん中にも原発を作る計画まで進めていて、将来はカリフォルニア中、北から南まで63基の原子炉を建設する予定だった(海上には浮動原子炉も考えていたそうだ!)。
 
しかし、瞬く間にその輝かしき夢は崩れ始めた。
 
1958年、サンフランシスコの北にあるボデガベイに原発を作る予定だと言うニュースが地元の新聞に報道された瞬間、地元の反対が噴火した。この土地は地震が発生しやすい不安定な土地だという自社の地質学者の警告を無視したからだ。丁度、イギリスで起こったウィンズケール原子炉火災事故(小さな原子炉が1日以上も燃え続け、多くの住民が被爆した事件)の直後で、ボデガベイ付近の市民は猛反対。1892年に結成された世界最古の環境保護団体の一つ、シエラクラブも強烈に反対した。団体のホームベースがサンフランシスコ、というのも活動に熱を入れたに違いない。
 
そんな中、PG&Eが地域の断層を表した地図を改ざんしたことが明らかになり、反対運動に拍車がかかり、政府レベルまで広がった。当時の州知事、パット・ブラウンはPG&Eに計画を廃止するようお願いし、2日後、計画はキャンセルされた。
 
PG&Eにとって高額で痛い経験だった。しかし、彼らは学んだ。次の原発建設予定地でどう進めるべきか。
 
60年代のサンルイスオビスポ郡は人口の少ない、カウボーイと放牧地の地域だった。反対しそうな人口も限りなく少ない。PG&Eのメガサイズの原子力施設にもってこいのはず。
 
彼らはまずニポモ砂丘を手に入れ、環境保護グループのリーダーたちに別の相応しい場所が選ばれなければ、ここに原発を建設すると公表。無声映画時代の「十戒」も撮影されたニポモ砂丘は観光客に人気のスポットで、自然も豊富だった。そこで、PG&Eはシエラクラブの会長夫人、ドリス・レナードと裏で働き、別の用地を検討した(のち、PG&Eはレナード夫人にお礼としてPG&Eの取締役の地位を与える)。
 
新しく選ばれたのがディアブロ・キャニオン。
 
ディアブロ・キャニオンは国立公園にする案もあった未開発の土地だった。また、原住民チュマッシュ族の聖なる墓地でもあった。地には一千年も生きてきた古代オーク、岩礁はカリフォルニア州で一番豊かなアワビの生息地、海には数えきれないほどのラッコたちなど、自然の宝箱だった。
 
「でも、こんなに自然が豊かな場所だったら、昔からチュマッシュ族の村とかがあるはずじゃない?」と聞くと、 この土地で何万年も暮らしてきた彼らは教えてくれる。「どうして悪魔の谷のような名前が付いたと思う?スペインの宣教師時代にスペイン兵や宣教師たちがここまで逃げてきたチュマッシュを捕まえにきたとき、チュマッシュの長老たちが儀式をやっていたの。丁度、そのとき、地面がグラグラ揺れ始め、スパニッシュは悪魔の仕業だと思ったのね。チュマッシュは前から知っていたのよ、ここは不安定な土地だって。だから、住居は作らなかったの。」
 
PG&Eはそんなチュマッシュの知恵を無視し、原発建設計画をどんどん進めた。シエラクラブの役員たちを招待し、フランク・シナトラのリアジェットで空から見学させ、当時の人気タレント、ダニー・ケイのエンタテインメント、お酒や食事で大盤振る舞い。それでも反対する環境保護派には従来の火力発電に比べはるかに空気汚染が少ない、とアピール。この地域の本当の価値を知る唯一のメンバーが出張中に残りの役員が賛否を投票し、原発用地をディアブロ・キャニオンに決めた。この動きに大反対したシエラクラブのデビッド・ブラウアーを始め、他のメンバーはこの事件がきっかけで脱退し、原発を反対するためにフレンズ・オブ・ジ・アースを結成する。地元シエラクラブの原発反対派はシエラクラブの名の下では反対できないので、66年にショアライン保護カンファレンスの名で運動を続けることに。
 
ディアブロ・キャニオンのホスグリ断層はすでにシェル石油の地質学者により測定されていたが1970年まで発表されず、1973年にやっとロサンゼルスのジャーナリストにより報じられた。不気味な偶然か関係者の陰謀か、報道直後に65年からPG&Eの計画に反対してきたある弁護士が車の中で遺体として発見された。当局は自殺だったと特定、それ以降の調査はなかったそうだ。まるで映画のシーンだ。
 
地盤に対する不安を消すため、PG&Eは自社でたった2000ドルの簡単な調査を行った(本格的な調査はその50倍はかかるはずだ)。地震対策のための再建設を懸念した彼らは「建設物が大きければ大きいほど安定していて、地震に強い」と言い張っていたが、激しい論争の末とうとう1976年に耐震化のための再建設をせざるを得なくなった。原子力規制委員会もPG&Eの味方だったが、最終的にはPG&Eのイメージを守るため、再建設をやると決断したらしい。
 
 

―巨大な反対運動―
 
原発が次々と建設されていた東海岸では反対運動が活発に行われていた。ニューハンプシャー州のシーブルック原発に反対していたアンチニュークの連合体、クラムシェル同盟をヒントにカリフォルニアでアバロニ・アライアンスが1977年5月に誕生。名前はディアブロの最初の“ホットフラシュ”(冷却塔が今もないDCNPPの冷却水は海へ流し出される)で殺された何万ものアワビ=Abalone(アバロニ)が由来だ。
 
77年8月に行われた最初のデモには1500人が集まり、47人が逮捕された。翌年は5000人の参加者に500人の逮捕者。
 
DCNPPの建設が間もなく完成という1979年にスリーマイル島の原発事故が発生し、原子力規制委員会(Nuclear Regulatory Commission = NRC)は新しい安全基準が導入されるまで原子炉計画は全て保留に。
 
スリーマイル島事件でまた原発の安全性が広域で問われ始め、10日後にアバロニ同盟は大きなデモをサンフランシスコで主催した。2万5000人の参加者に勇気づけられ、翌月、サンルイスオビスポでもアクションを行い、ここには5万人もの参加者が集まり、当時の州知事、ジェリー・ブラウンも原発反対を訴えた。(余談だが、ジェリー・ブラウンは当時、若くてヒップな知事でシンガー、リンダ・ロンシュタッドのボーイフレンドだった。ブラウンはここ数年、また州知事をやっているのだが、今は原発や核について一言も言わない。2018年11月にまた知事選があるのだが、なんと原発推進派のマイケル・シェレンバーガーも立候補している)
 
運動が一番盛り上がっていた頃は反戦活動家ダニエル・エルスバーグやトム・ヘイデン、俳優マーティン・シーン、ジェーン・フォンダ、ハリソン・フォードやキャリー・フィッシャー、ミューシジャンのジャクソン・ブラウン、CSNY、イーグルス、ブルース・スプリングスティーン、ジェイムス・テイラー、スティービー・ワンダーなどなど、実にたくさんの著名人もデモに参加していた。
 
特にミュージシャン達はMusicians United for Safe Energy=MUSE(安全なエネルギーを支持するミュージシャン)という活動グループを組み、スリーマイル島事故から数ヶ月後、ニューヨークで大々的なコンサートを行う。ライブ盤はノーニュークス運動の古典アルバム「No Nukes」としてリリースされ、当時は日本でも人気だった。
 
NRCがとうとうDCNPPの低出力用許可を出すと、今までになかった規模のデモが行われ、20日間も続く施設入口封鎖で1960人以上もの活動家が逮捕された。抑留者にあまりにも多くの著名人がいたため、留置所は「才能のトルネード」と新聞では報じられた。ジャクソン・ブラウンも毎晩、ギター1本で歌いまくり、みんなを楽しませた、と同時に逮捕された活動家は語る。ブラウンは裁判で「僕の行動は愛国心からの行動だ」と言ったそうだ。
 
(またまた余談だが、今もジャクソン・ブラウン、デビッド・クロスビー、ボニー・レイトなどは脱原発活動を続けていて、マザーズ・フォー・ピースの大事なサポーターたちだ)
 
封鎖行動が静まる頃、DCNPPで新しく雇われた25歳の技術者が原子炉の耐震サポートが逆に建設されたことに気づく。PG&Eは右左逆の反転した設計図を使っていたのだ。これは全国的スキャンダルとなり、NRCはDCNPPの運営許可を撤回。
 
まだまだ、スキャンダルや問題は続く。施設の問題についての報告書の改ざんが明らかになる事件、NRCからの巨大な再設計と再建設の要求、などなど。1984年までには6000以上もの建設ミスが発見され、建設コストもその度に上がる。当初は3億ドルで建設されるはずの原発施設のコストは58億ドルへ膨れ上がり、さらに70億ドルの財政コストが加わる。
 
PG&Eは建設を続けるための資金や支えてくれる金融機関も失っていき、ディアブロも痛く高額な教訓になり得る頃、1984年当時大統領だったロナルド・レーガンが20億ドルの裏金を確保し、建設が続く。この事実を知った活動家は怒り、4ヶ月もの入口閉鎖行動を実行するのだが、今回、メディアは無関心。
 
NRCは運営開始までには地震などに対するルールや避難計画が策定されると約束していたが、84年8月の段階で何も計画されていなかった。このままではまずい。NRCは慌ててPG&Eと密談で未確認の書類をもとにプランを立てる。仲裁役グループはその会談の詳細を求めるが、NRCは国家の安全を守るためを理由に公表しない。連邦裁判所もPG&Eと密談し、仲裁人の訴えを却下。
 
このことを知ったあるNRCスタッフは密談の詳細を告発。これを有力な証拠としてマザーズ・フォー・ピースとPG&Eとの間で何年もの訴訟が続くのだ。
 
マザーズ・フォー・ピースはアバロニ同盟の一員で、サンルイスオビスポ地元の住民、主に主婦たちのグループだ。ベトナム戦争を反対するために集まった母たちだが、戦争が終わると今度は不道徳で不法な発電システム、特にDCNPPをストップさせるために全力を注ぐ。原子力、核産業、法律などを徹底的に勉強し、法的に戦えるための知恵を蓄積し、計1300件もの訴訟を起こす。
 
(70-80年代にかけての反対運動はDark Circleというドキュメンタリーで詳しく語られている)
 
DCNPPの問題は規制機関との違法なやりとりにとどまらない。断層情報の改ざんだけでなく、品質管理情報や設計問題も度々改ざんされていた。それを明らかにした内部告発者は解雇される。別の社員は訓練の不十分さを指摘し、辞めさせられる。21人のスタッフは違法ドラッグ問題で逮捕される。ある従業員によると「建設中はみんなコカインをやっていた」そうだ。
 
運営中もDCNPPは全米で一番問題の多い原発の一つだ。機械的問題は絶えない。水圧系の漏れ、火災、小型飛行機の墜落、従業員のハラスメント、安全ルールの違反、線量漏れ、冷却ポンプの故障、運営ミス、オーバーヒート・・・・・・・・・きりがない。そして、誰もが気にするべき断層。新しい調査でさらに5つ新しい活断層が発見される。
 
 

―原発村の中での戦い―
 
それでも不思議に、一旦、運営が始まるとメディアは報道しなくなる。市民の関心も徐々に消え去る。サンルイスオビスポはどんどんPG&Eタウンとなっていき、依存していくのだ。どの町も同じだ。今日の生活が大事。目の前しか見えない。安定した生活は「PG&Eのお陰」と思うようになる。PG&Eもコミュニティへ多額の寄付金で好意を買ってきた。
 
私がこの地域に引っ越してきた頃はDCNPPと戦っているのは主に2つの根強いグループだった。来年結成50周年を迎えるマザーズ・フォー・ピースと、そこから枝分かれしたアライアンス・フォー・ニュークリア・レスポンシビリティ(A4NR)(シエラクラブも原発に対する考えを変え、今はニューク・フリー組もいます)。
 
A4NRは原発の道徳、法律、環境などの問題について一切関心を向けず、経済面に集中している(採算が合わない理由はやはり環境問題、法的な問題からくるのだが)。経済的に維持できる発電システムではない、とPG&Eに訴え続け、政府レベルでも働きかけている。
 
福島第一原発のメルトダウンでメディアはまた原発に興味を示し、アンチニューク運動も刺激された。特にDCNPPは福島と立地条件が似ているということで全国からジャーナリストが押し寄せ、我々も頻繁に取材された。私は日本の話やDCNPPだけでなく、福島とサンルイスオビスポの共通点も指摘した。
 
「福島のような事故があったらこの郡は台無しだ。美しい景色がそのままでも誰も遊びにこない。ワイナリーのワインは誰も買わない。農場や牧場は荒野に戻る。それでも、原発欲しい? 原発がなくなって電気が使えなくなっても、私は電気無しの暮らしになんとか馴染むわ」。
 
偶然に、もう一つカリフォルニアで稼働中の原発、ロサンゼルスとサンディエゴの中間にあるサンオノフレ原発(SONGS)の放射能漏れのニュースが出始めた。福島第一原発と同じタイプの原子炉を使っていたSONGSの蒸気発電システムの故障で放射性蒸気が放出されていたのだ。2010年と11年に取り替えたばかりの発電機の3000もの蒸気管が早くもイかれていた。活動家、市民、そして政治家の圧力で2012年1月に閉鎖され、今は廃炉の作業中。
 
SONGSはもう運営されていないが、使用済み燃料はそのまま、サーファーなどで賑わうビーチの脇で保管されているのだ。さらに恐ろしいことに、日本や世界のほとんどの原発施設と違い、使用済み燃料はホルテック社の薄い(2センチ以下の!)ステンレス製キャニスターに保管されているのだ。現在、この地域で使用済み燃料をどうするかで激しい論争が巻き起こっている。「直ちに、別の場所へ移動しろ!」「現在使用のキャニスターでは移動できない!世界基準のキャスクにまず詰め替えろ!」活動家や市民の間でも意見が分かれてしまっている。
 
DCNPPは不安定な地盤だけでなく、 冷却塔がない。冷却用に海水が使われ、使用後、高温のまま排出され、海洋生態系に悪影響を及ぼしている。カリフォルニア州の沿岸環境を規制する政府機関コスタル・コミッションも、DCNPPの運営ライセンス更新の条件として冷却塔の建設を要請していた。
 
さらには、世界中の原子炉と同じようにDCNPPの原子炉も古く、もろくなっている。トリチウムの放出は当たり前。「安全」に稼働していても、放射能はいつも漏れている。マザーズ・フォー・ピースはDCNPP運営開始前から地方自治体にベースラインとなる健康調査を要求しているのだが、調査は今までされていない。2014年にサンタバーバラのNPOワールド・ビジネス・アカデミーが独自の調査を行なったが、結果、原発付近の地域は他と比べて乳児死亡、先天性疾患、癌などの率が高いことが判明した(ドシメーターを持っている友人がこの地域の線量を測ったが、やはりサンフランシスコなどよりかなり高い。「福島の事故後の東京と同じくらいかな?」と言っていた)。

事故時の緊急対策も問題だ。カウンティのいたるところにサイレンが設置され、ヨウ化カリウムも無料で配布されているが、避難計画など具体的なプランはどうやらなさそうだ。PG&Eは顧客に毎年、カウンティの自然美が月々の写真にされているカレンダーを配布しているのだが、その真ん中には「事故があったらどうするか」の情報が一応書いてある。しかし、本当に事故が発生したら、交通手段はどうなるのか、運転できない、または車を持っていない住民はどう避難すればいいのかなどの情報はない。緊急時のための訓練やドリルは行われていない。
 
再生可能エネルギー業界はどんどん成長し、火力発電を追い越している時代だ。
もう、原発は過去のエネルギー。なのに、まだDCNPPが起動中。なぜ? こんなに問題多き原発なのに、どうして廃炉にできないの?
 
 

―DCNPP廃炉決定!―
 
とうとう、2016年6月、PG&Eは「労働組合や環境グループとの話し合いの結果、DCNPPのライセンス(運用免許)更新は取りやめ、現在のライセンスが切れる2024年(1号機)と2025年(2号機)に廃炉」と共同提案で発表。カリフォルニア最後の原発がなくなる日がやっときたのだ!共同提案はPG&E、労働組合、フレンズ・オブ・ジ・アース、環境保護団体Natural Resources Defense Councilと地元のA4NRの話し合いで合意されたものだ。
 
これに一番反対しているのはここ数年、なぜか盛り上がっている「ニュークリア・グリーン」をアピールする原子力推進派。彼らは「原発こそ温暖化対策」と主張し、DCNPPが廃炉となったら従来の火力発電に戻り、温暖化はますます悪化すると訴えている。
 
原発推進派のいうことはいつも決まっている。原発は安全だ。耐震性も抜群。福島は津波にやられたが、DCNPPは崖の上にある(地震で崖が崩れたら福島どころじゃないぞ!)。一番腹立たしいのが「福島の事故では一人も死んでいない」という大嘘。でも、どんな嘘も言い続けると真実のように聞こえてくるのだ。トランプ大統領や安倍首相はよくわかっている。なので、どう説明しても彼らは叫び続ける。「原発はグリーンエネルギーで二酸化炭素排出量ゼロだ」と。
 
しかし、PG&Eの優先は利益。環境や安全ではない。で、嬉しいことに再生可能エネルギーの方が効率いい。だからPG&Eが発表した共同提案では、廃炉されるまでに再生可能エネルギーへシフトすることが条件の一つだ。
 
DCNPPの廃炉も再生可能エネルギーへのシフトも大歓迎だが、PG&Eの共同提案の話し合いに呼ばれなかった我々マザーズ・フォー・ピースは、DCNPPを1日でも早く閉鎖し、これ以上核廃棄物を出さず、現在ある廃棄物を世界基準の保管システムに移し替えて欲しいのだ。
 
面白いことに、PG&EはDCNPPの廃炉が決まると「廃炉顧問団」を公募し、結成。メンバーは一般市民だが、労働組合のリーダー、自治体の元役員、引退後サンルイスへ住むようになったNRCの元判事、チュマッシュ族のメンバー、隣町の元市長、マザーズ・フォー・ピースのスポークスパーソンでベテラン活動家などなど、興味深いラインアップだ。
 
マザーズ・フォー・ピースも今後のDCNPPの運営やNRCとのやり取りに目を光らせ、できるだけ早いシャットダウンを求め続ける。廃炉が決まった後、安全性などがおろそかになるのでは? 古い機械やシステムは修復、交換されるのか? 2025年まで数年あり、何が起こるかわからない。今も毎日、熱くなった冷却水は海へ流れている。そして、永遠の問題、核燃料は?
 
活動家のやるべきことには終わりがない。
 
私がカリフォルニアの活動家達から学んだのは「諦めずに、根強く、地道に努力し続けること」。
 
福島第一原発の事故後、初めてサンルイスオビスポで行われたデモへ出かけるとき、お隣のお父さんと話した。彼は二子の父で、次男はエンジェルマン症候群という染色体の先天的な病気を抱える幼児だった。アンチニューク・デモに行くんだ、というと彼は「でも、絶対に閉鎖されないって知っているよね」とコメント。それを聞いた私はとても悲しかった。小さな子供、しかも一人は不治の病を持っている子の親が戦う前から諦めてしまっている。これじゃ、本当に廃炉なんて不可能だよね、と思った。
 
幸いに彼は間違っていた。
 
断固と頑張ってこそ夢は叶うのだ。世の中はすぐには変わらない。だけど、希望を持って活動し続けないといけないのだ。
 
 
(2018年9月 アメリカ・カリフォルニア州にて)
 
 
<関連>
『マザーズ・フォー・ピース/Mothers For Peace』 
https://mothersforpeace.org
子ども向けアニメーション『Fuel Chain Primer』(キャロル久末・作)
https://www.youtube.com/watch?v=NxIXgvXfJag
リバモア研究所前アクションでのスピーチ
https://youtu.be/fhKCE0b0LUM 
 
 
キャロル久末 <プロフィール>
東京でFMラジオ、テレビなどのパーソナリティ、ナレーター、コメンテーター、映像プロデューサー、ライターなどに携わる。2006年から主にサンルイスオビスポ・カウンティの牧場で自給自足の生活を求め始めるが、福島第一原発の事故以降、地元をはじめ、カリフォルニア、日本の脱原発、反核運動の活動家に。講演、イベント企画実行などと共にマザーズ・フォー・ピースのスポークスパーソンの役割も。2018年8月には今も核兵器を製造するリバモア研究所前のアクションで、「ペンタゴン・ペーパーズ」で有名なダニエル・エルスバーグ、長崎原爆の被爆者やベテランズ・フォー・ピースの代表などと並ぶゲストスピーカーだった。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

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