NO NUKES PRESS web Vol.011(2018/11/30)

Posted on by on 10月 29th, 2018 | NO NUKES PRESS web Vol.011(2018/11/30) はコメントを受け付けていません

NO NUKES PRESS web Vol.011(2018/11/30)

NO NUKES! human chains vol.05:島昭宏さん ロングインタビュー (聞き手:Misao Redwolf)

 
福島原発事故発生から7年がたちましたが、原発事故はいまも続いています。事故収束もままならず放射能の放出が続き、避難生活者も5万人と言われています(2018年3月現在)。圧倒的脱原発世論を無視し、愚かな現政権は原発を推進していますが、原発に反対しエネルギー政策の転換を求める人々の輪は拡がり続けています。【NO NUKES! human chains】では、ゲストの皆さんへのインタビューを通じ、様々な思いを共有していきます。
 
【NO NUKES! human chains】では、ゲストのかたに次のゲストをご紹介いただきます。Vol.05ではドリアン助川さんからご紹介いただいた、原発メーカー訴訟弁護団共同代表の島昭宏さんのロングインタビューをお届けします。
 
古賀茂明さん吉原毅さん落合恵子さんドリアン助川さん島昭宏さん


【NO NUKES PRESS web Vol.011(2018/11/30)】NO NUKES! human chains vol.05:島昭宏さん ロングインタビュー(聞き手:Misao Redwolf)pic.twitter.com/1fQ9zdEbZ5 http://coalitionagainstnukes.jp/?p=11680

 
 

―3.11福島原発事故―
 
Misao:3.11福島原発事故から7年以上経ちました。島さんは2011年3月11日は何をされていましたか?
 
:地震のときは、当時、働いていた四谷の事務所で依頼者と打合せをしていました。ちょうど僕が弁護士になって3か月くらいのときでした。これはもう今日は仕事にならないと思い、事務所のボス弁が不在だったので、僕が事務員たちに声をかけ、仕事を切り上げて飲みに行きました。夜になって電車が動いたという情報が入ってきたので、遅くに帰宅しました。
 
Misao:そのとき、原発事故のことは考えていましたか?
 
:そのときはまだ、原発うんぬんという話はまったくなかったですね。ただ、震災の翌日に爆発があって、いろいろな環境関係などのメーリングリストで、早い段階から「これはもうメルトダウンしている」とか、「場合によっては東京からも避難する事態を覚悟した方がいい」というような情報がどんどん入ってきました。原発問題に長年関わってきた弁護士やNGOの人たちが情報を流してくれたんです。メルトダウンやスピーディという言葉も飛び交っていたし、政府やマスコミの情報よりはるかに早かったですね。
 
Misao:私は2006年頃から反原発の集会やデモをやってるのですが、活動でつながりのある人たちはメルトダウンを予測し、一旦関東から避難する人も多くいて、私も3月末までは名古屋に避難しました。ところで、メーリングリストから得た情報を見ながら、テレビで原発が爆発した場面を見たと思いますが、どう感じられたのでしょうか?
 
:もともと僕は、環境問題をやるために弁護士になったんですよね。2010年12月に弁護士登録をすると同時に『八ッ場ダム住民訴訟弁護団』に、翌年1月には、日本中の電力会社に対してCO2を減らせという調停や裁判をやるための『シロクマ弁護団』に入りました。「CO2を減らせ」と言ったら、電力会社からは「やっているよ。そのために原発でがんばっているじゃん」という反論が来るだろうから、「原発じゃあダメ」と返す必要がある。ちゃんとした理由をつけてね。今ある原発から新設・増設はせず、すべて40年間で廃炉にして再生可能エネルギーを可能な限り導入すれば、何年までにCO2を何パーセント減らせるはずだというような科学的な根拠もね。
 
そういう試算を研究している団体の職員が匿名で協力してくれていたんだけど、そのときに「原発はだめ」と言う理屈を、法律的にどう主張するんだろうと弁護団で議論していました。そこで福島原発事故が発生し、これは40年廃炉どころじゃなく、すべての原発を即時停止という前提でシナリオを作り直さなきゃなと。それと同時に、原発の問題に直接関わっていくことになるんだろうなということを、実感として考えてました。
 
 
―中学1年生で「環境派中学生」に―
 
Misao:環境問題のために弁護士になったとのことですが、もう少し詳しく経緯をお話ししていただけますか?
 
:小学校6年生のときに、岡林信康の『手紙』という曲と「狭山事件」を描いた漫画によって部落差別の問題を知って、「日本でもそんなことがあるんだ」と衝撃を受けました。中学1年生のときには、有吉佐和子の『複合汚染』という本に衝撃を受けて。ローマクラブの「成長の限界」や、人口問題、食糧問題の発生とか、つまり地球は有限なんだと。その中で、どういうふうに社会を維持していくのかという内容でした。
 
多感な時期にダブルで衝撃を受けて、社会全体に強い関心を抱くようになり、価値観を大きく転換していく必要性を感じはじめました。悶々と考える中で、現代のような物質的な豊かさを追い求めていく時代は確実に限界が来つつあるし、そうじゃないものへの価値を認める社会を作っていくということが今後のテーマなんだ、その切り口として環境問題というものをやっていくのが一番いいんだろうという考えにたどり着きました。
 
それで、中学1年生でいきなり環境派中学生になった。家にあった合成洗剤を全部粉せっけんに変えてもらったり、2台あった車の1台が中古車でマスキー法という新しい排ガス規制をクリアしてないってことが分かったので、「今日からこの車には絶対乗らない」と宣言したりとか。今から思えば単純野郎ですが、その頃からずっとテーマは一貫しています。
 
Misao:島さんは子供のころからとてもアクティブで、意思がはっきりしてたんですね。しかし、すぐには弁護士を目指さなかったのですよね。
 
:ずっとフォークソング、社会派フォークが好きでギターも弾いていましたが、高校生になってバンドを始めたころクラッシュなどのパンクに出会い、ジョン・レノンへの憧れもあって「あ、世の中ひっくり返すにはこれだ!」「いけるじゃん!」と。自分の思いやテーマをどうやって実現していけばいいのか、中学の間もずっと考えていたんだけど、パンクロックで自分のテーマを実現していくのが一番カッコいいなと思ったんです。
 
Misao:それでずっとバンド活動をしていたのですね。
 
:そう、売れないながらもずっとバンド一筋で、CD出してツアー回って、イベントを何百回もやって。気づいたら41歳になっていた(笑)
 
Misao:バンドで稼げなかった間は、仕事は何をされてたのでしょう?
 
:仕事はまったくしていない時期もあったけど、基本的にはアルバイトで、ものすごく色んなことをしましたね。36歳頃にはバンド仲間たちと高円寺で飲食店を始めました。
 
Misao:映画『日本と原発』の自主上映会で、お店に行ったことがあります。
 
:はい、あの店です。飲食店などでアルバイトをしていたバンド仲間に声をかけて、その後スタッフはずいぶん入れ替わったけど今年で20年、高円寺では老舗カフェとして知られる店になりました。そこを拠点としてパンクレーベルを立ち上げたり、トークイベントや映画の上映会、自分たちの農園で作った有機野菜でメニューを考えたり、様々な発信をしていく場所と考えていました。
 
 
―40代で弁護士になる―
 
Misao:バンド活動中心の生活をする中で、弁護士になろうと一念発起したのは、何か大きなトリガーがあったのでしょうか? 弁護士になるのって、勉強とか試験とかとても大変じゃないですか。
 
:41歳の誕生日の朝、ベッドの中で、バンドを始めたのは16歳のときだったので「バンドを始めてちょうど25年か」なんてことを考えてました。最初はビートルズのコピーから始めたけど酷いもんだったなあ、とか。初めてスタジオに入ったときは、助川(ドリアン助川)がドラムだったんだよね。
 
Misao:ドリアン助川さん、島さんとは高校時代の同級生だとおっしゃっていました。
 
:うん、高校1年生のとき、たしか隣のクラスだった。半年ぐらいでケンカ別れしちゃったけど。それで、そこから歌い続けていたらあっという間にベテランと言われるような歳になって。でも、25年は長いけれど、考えてみたらあと同じぐらいの時間がある。実はまだ折り返しに来たか来ていないかぐらいなんじゃん、とハタと気づいちゃった。バンド活動は楽しいし、いつまでも続けていきたいけど、このままいくらやったって社会はびくともしないじゃん(笑)、これでいいのかなと。
 
それで、バンド活動を16歳で始めて以来初めて、1回ストップしてもいいから、白紙のもうひとつの人生がある。そう考えてみようって思ったんです。もうひとつの人生があるとして、お前は何をやるか。ドキドキしながらずっとベッドの中で考えて。もちろん、このままバンドを一生やり切るのもOK。だけど、自分の可能性を目一杯追及するための選択肢を考えるラストチャンスかもしれない。だったら、一回ぐらいしっかり考えて結論を出そうと。政治家になるのも面白いかもしれないし、環境NGOみたいな組織で働くのもいいかもしれない。とにかく白紙のもう一つの人生。なんだか物凄くワクワクしてベッドから出たのを覚えていますね。
 
法律はまったく興味もなかったし、大学も経済なんで一切やらなかった。でも一週間ぐらいたったころ、司法試験の新しい制度で環境法という受験科目が入ったことを新聞かなんかで知りました。そうか、法律で環境問題に関わるということは、場合によってはど真ん中から問題に切り込んでいって、一つの判決で文字通りひっくり返ることがあり得るのかも。これは面白いかもしれないと思いました。
 
それから1か月ぐらいの間に、弁護士ってどんなことをやるのかいろいろ調べたんです。わかったのは、弁護士ってすごく自由だってこと。仮に政治家になっても、政治家であり続けるためにエネルギーの多くを費やさないといけない。ところが弁護士は、一旦なってしまえばずっと弁護士でいられる。他人から強制されることもなく、自分のやりたいテーマについて、自由なやり方で追及していくことができる。これはいいなと思いました。ロックじゃん、と。それで弁護士を目指し、42歳のときにロースクールに入ったという、そんな流れです。
 
Misao:すごいですよね。ほぼ知識のないところから行動に移すというのは。まだ20代ぐらいだったら、勢いでいけるとは思うのですが。
 
:特に失うものもないし、気楽でしたよ。とにかく勉強すればいいんだろう、足りなければ足りるだけやればいいんだろう、と。ロースクールで3年間、日本で一番勉強する受験生になってがむしゃらにやればどうにでもなるだろうという感じで、そんなに重い決断ではなかった。もちろん、始めてみたら想像より数倍は大変だったけど、気分はすでにロック弁護士、ロックンローヤーでした。
 
Misao:なるほど。でも自分だったら無理だな(笑) そしてさらにすごいのは、2回目で司法試験に合格したんですよね。それで、最初に四谷の法律事務所に就職して、その直後に東日本大震災と福島原発事故が起こった。抽象的な見方ですが、そのために弁護士になったようにも思えますよね。 布団の中で考えたのもなにかを感知したからなのか、そこに行く道だったというか。ご自分でもそう感じませんか?
 
: そうそう、もうこれをやるしかないなと、それはすごく感じた。もう選択肢はないなという感じですよね。もう、やるしかない。
 
 

―原発の問題は社会構造の問題―
 
Misao:島さんは子供のときから環境問題に関心があったのですが、原発の問題について気づいたのは、どういった経緯でしたか。福島原発事故より前なのでしょうか?
 
:1980~90年代に“アトミック・カフェ”というイベントに出演して、そこでは「原発なんてダメに決まっているじゃん」でOKだった。でも、出演した多くのバンドマンがそうだったと思うけど、その場限りで、そこを超えてまで自ら発信していくということは考えていなかったし、実際にそういうミュージシャンはすごく少なかったと思う。
 
Misao:“アトミック・カフェ”はチェルノブイリ原発事故がきっかけで始まって、90年代に一旦終了しましたが、福島原発事故後復活して“フジロック・フェスティバル”などで活動していますね。NO NUKESに賛同するから“アトミック・カフェ”には出るけど、それ以上に身近な問題としてはとらえていなかったということなんですね。
 
:うん、自発的に勉強するということもしなかったし、ただ感覚だけで「原発なんてダメに決まっているだろう」という以上のものでもないというかね。
 
Misao:原発の問題がもっと身近に迫ってきたのが、3.11の福島原発事故で、パーン! という感じだったというわけですね。
 
:そう、ホントにそうだった。それまでは、原発の問題というのは単なる発電方法、エネルギーをつくる方法としかみてなかったのね。それが、話を聞いたり本を読んだりして色々と知っていくうちに、実は社会構造や経済構造そのものの問題だと分かってきた。中央集権的社会で大規模なシステムがあって、そこに利権が集中し、既得権を持つ人々が巨大な利益を独占して、それを周りに小さく分配していくという、その仕組みそのもの。地方分散型の社会とか、そういう方向性からするとまったく相容れないもので、これはどんな社会を選択するのかという問題そのものだと気づいた。
 
Misao:原発の問題については、もっとも取り返しのつかない公害として放射能のことは重大だと思いますが、自分の活動のモチベーションとしては、原子力ムラ的なものが蔓延している社会において、原発をなくすことによって腐敗した社会のシステムに風穴が空くのではないかというのが一番なんです。島さんの意見とまったく同じですね。
 
:だからこそ抵抗が激しいんだしね。そこを理解できていなかったなというのがあって、始めてみてすごくよく分かった。自分の多くの時間やエネルギーを費やすにふさわしい価値のあるテーマだと思いました。
 
Misao:すごくわかります。私が自分の仕事のキャリアを置いて活動家になったのも、そうだからです。反原発の活動を始めたころはイラストレーターだったんですが、アーティストとして大成功を目指すことを主軸にする人生よりも、社会を改善しクリエイトすることに一兵卒として尽力するほうが、自分には価値があると思ったんです。
 
 
―原発メーカー訴訟」を立ち上げる―
 
Misao:島さんは弁護士として「原発メーカー訴訟」に取り組まれています。また、『ノー・ニュークス権(No Nukes Rights)』を提唱されています。私も呼びかけ人に連名させていただきましたが、「原発メーカー訴訟」はどのようにして始まったのでしょうか。
 
:2012年9月、まさに『金曜官邸前抗議』は参加者がごった返して、運動全体が盛り上がっているころですね。eシフトのメーリングリストである人から「法律の専門家にお聞きします。原発の製造会社に事故の責任を問うことはできないんですか?」という投稿があったんです。そこでつい、「原賠法(原子力損害賠償法)で免責になっているんです」と回答したところ、さらに「それでは何があっても責任を負うことはないということですか」などと聞かれ、法律は憲法に反していれば無効になるから可能性はあるというようなやりとりをしていったところ、一度話をしにきてくださいと言われ、彼らの集会に話をしにいくことになったのが始まりです。
 
ところが、色々なところに行って話をしていくうちに、僕自身、単にメーカーが免責されているということだけでなく、さらに深刻な問題があることが分かってきました。電力会社だけが責任を全部負ってあとはすべて免責という「責任集中制度」という仕組みが世界中を覆っているという、本質的で重要な構造的問題が見えてきたんです。それで、法律でも免責と書いてある相手を被告にする裁判なんて誰もやらないだろうし、これは引き受けるしかないなという感じになりました。ロックだし、ね。
 
Misao:基本的には損害賠償になると思うんですが、難易度の高い訴訟を、どうやって進めたのでしょうか。
 
:最初、原発訴訟をやっている知人の弁護士に相談したら、「浜岡原発訴訟の弁護団会議に主要メンバーが集まるから相談してみなよ」と言われたんで、行ってみたんです。河合弁護士や海渡弁護士とかそうそうたるメンバーがいたんだけど、当時はよく分かっていないから、とにかく原発問題の中心で活動している弁護士っていうのはこの人たちか、と思いつつ。そこで、こういう裁判をやろうと思うんですけど、どうでしょうと言ったら、「そんなのは止めた方がいいよ、絶対無理だから」などと相手にもしてもらえませんでした。ふてくされて帰りましたよ。
 
そんなわけで、もう自分たちでやるしかないけど、何しろ普通にやっても勝ち目はない。大事なことは、大きく話題になり注目されることだから、そのために世界中から原告を集めて、大騒ぎの祭りのような裁判にしようというイメージはありました。それで原発事故のニュースでショックを受けたなどいう程度の精神的損害でもOKってことで、限りなく少ない金額で誰でも原告になれるようにしようと思いました。
 
その段階では、なかなか弁護団メンバーも集まらず、逆に環境事件や弁護団事件の経験がない友人の弁護士たちに、「たまにはこういうのも楽しいし、絶対勉強になるから」とか言って、一人ずつ騙すように口説いていった。それで会議みたいなことをやりながら、ほとんど一人で法律構成や訴状の目次を作りました。そんなことをやっていたら、河合弁護士の事務所から「河合が弁護団に入りたいと言っています」と電話がありました(笑) とにかく話を聞きたいとのことで、僕の事務所まで来てくれました。
 
この会議で、正面から憲法違反を主張するのは当然だけど、それとは別に、脇から請求できる可能性もあると法律構成を説明しました。電力会社はとにかく全部の責任を負うんだけど、第三者によって故意に事故を起こされた場合、電力会社はこの第三者に求償できるという条文があるので、原発メーカーは故意に事故を起こしたのだという構成を加えればよいと。もちろん、故意のハードルは高いけど争う価値はあるし、なによりその審理の過程で、原発メーカーの問題点をあぶり出すことができる。
 
河合さんは「それは面白い。よくそんなことを思いついたな、やろう」と言って、海渡弁護士や仲間を集めてくれました。弁護団は20名以上になり、最初は僕一人が弁護団長だったけど、今は河合弁護士と二人で共同代表になっています。そして、2014年の1月と3月の2回に分け、合計38か国から約4200名が原告、福島第一原発を作ったGE、東芝、日立を被告として、原発メーカー訴訟を提起しました。
 
 
―「原発メーカー訴訟」の2本柱・「ノー・ニュークス権」と「財産権」―
 
Misao:原発メーカー訴訟について、もっと詳しくお話をお願いします。
 
:まず、原賠法は憲法違反だから無効だという点なんですが、普通に考えたら、本来であれば当然、金銭賠償を請求できるはずのに、この人は免責だからできないというのは財産権の話になります。だけど、それだけだとこの裁判の本質がみえてこない。そこで考えたのが、新しい人権。史上最悪の原発事故を経験した今、被ばくしたくないとか、放射能の恐怖に晒されて生きるのは嫌だなとかいう気持ちは、もはや単なる感情や主義主張ではない。権利なんだと。
 
我々には「原子力の恐怖から免れて生きる権利」が認められるべきだと主張し、これを「ノー・ニュークス権」と名付けました。「プライバシー権」や「人格権」同様、憲法に書いてなくても、時代の流れの中で憲法上の保障を必要とする利益は新しい人権として認められるわけです。このノー・ニュークス権と財産権の侵害による違憲無効が裁判の2本柱です。
 
Misao:なるほど、そういう経緯で「ノー・ニュークス権」を提唱することになったんですね。
 
:財産権については、憲法29条1項に財産権が保障されるという条文があるんだけど、第2項には、財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律で定めると書いてあるんだよね。要するに、第1項で保障される財産権の内容というのは、公共の福祉に反しないように法律が決めるんだと。
 
たとえば、自分が土地を持っていてその所有権が認められていても、その土地に立てる建物について、危険だったり周りに迷惑をかけるとかで高さ制限が出てきたりとか、建築基準法という法律で公共の福祉に適合するよう制限を受ける。要するに、自分の土地であれば何の制限もなく自由に使えるというわけじゃないというのが第2項。こういう考え方が古くからしっかりあったから、ヨーロッパとかの町並みは美しく保たれているんですよね。
 
憲法学者の木村草太さんを呼んでシンポジウムをやったときに、「この財産権の部分は勝てるかもしれない。おもしろい。これは1項ではなく2項で争うべきだ」とおっしゃった。つまり、原賠法が採用するこの責任集中制度が公共の福祉に適合する仕組みになっているかどうかで争うと、勝てる可能性があると言われて、僕たちも強く納得したわけです。当初は、特に考えることもなく29条1項違反を主張しようと思っていたんだけど、本丸は29条2項でいこうと切り替えました。
 
 
―東電に対する請求権―
 
:ノー・ニュークス権と財産権の2本柱のほかに、さっき話に出た東電に対する請求権を保全するための債権者代理権というのがあります。原発に一番詳しいのは明らかにそれを造った原発メーカーだよね。自動車に例えると、運転手が東電で、トヨタなんかの自動車会社が原発メーカーなんだから、メーカーこそが自動車のすべて知り尽くしていて、性能や欠点もわかっているわけです。それなのに、例えばブレーキが故障していて事故が起こっても、運転手だけが責任を負って、自動車会社は免責になるっていうのが原賠法。誰が考えてもおかしいですよね。
 
法律上の「故意」というのは、損害の発生を認識しつつ、それを放置したり認容する心理状態をいうんです。わざとではなくても、事故が起こるかもしれないけど、まぁいいかと思って放置していたとすれば、それは故意になります。原発メーカーが、自分たちが作った原子炉が実はオンボロで、でかい地震が来たらまずいと分かっていながら、「まぁいいか、俺たち免責だし」なんてことを考えていたとしたら、それは法律上の故意にあたり得る。メーカーが故意であれば、原賠法5条1項によって、東電はメーカーに「こんなに金を払わされたけど、それはおまえのせいだからその分払ってくれ」と求償できるんだけど、それを東電がやれるのにやらない場合は、原告が原発メーカーに直接請求できるんです。
 
これが民法423条に規定されている債権者代理権という権利です。東電の株主総会でグリーンピースなどが、原発メーカーにも責任があるんだから求償権を行使せよという提案をしたんだけど、東電はそれを拒絶している。そうすると、被害者は東電に対する請求権を保全するために原発メーカーに直接請求できることになる。ところが実は、債権者代理権で原告が直接メーカーに請求するためには、もう一つ「無資力」という条件が必要なんです。
 
要するに、東電にお金がなくて被害者に十分な賠償をできないという状況であるもかかわらず、原発メーカーに求償請求をしないという場合に、被害者は原発メーカーに直接請求できるというのが債権者代理権なので、東電が無資力かどうかが問われます。そこをクリアできれば、裁判で「メーカーは故意なの?」という議論に繋がるわけで、そうすると故意かどうかを審理するための前提として、「原子炉に欠陥があるからこういう事故が起こったの?」、「原子炉の欠陥についてメーカーは認識していたの?」というような中身の話になっていくわけです。これまで誰もやったことのない、極めて興味深い争いになるはずです。
 
そんなわけで、大きくいうと、憲法違反についてはノー・ニュークス権と財産権の29条2項、それから求償権の部分で債権者代理権。この3つが大きな争点で、裁判所はこの3つについて明確に判断しなければいけないんです。
 
 

―新しい人権「No Nukes Rights」
ノー・ニュークス権 = 原子力の恐怖から免れて生きる権利―
 
Misao:今のところ、裁判所はそれらを明確に判断できていないのですよね。
 
:地裁と高裁は、一応、ノー・ニュークス権という権利は認められない、29条2項には違反していないと言っています。しかし、実は我々は法令違憲と同時に適用違憲の主張をしている。これはどういうことかというと、責任集中制度の条項が憲法に反し無効とまでは言えないとしても、原発メーカーの免責が認められるのは、被害の規模が原賠法の想定内であり、原発メーカーに重大な過失があるとまでは言えないことが必要と考えるべきで、これを合憲限定解釈といいます。
 
ところが、本件のような想像を絶するほどの大規模な被害が発生し、原発メーカーに重大な過失があるというような場合にまで原発メーカーを免責とすることは、憲法に反しているという主張です。これは極めて現実的な主張だと思っています。ところが、地裁はこの争点について見落としたのか、一言も判断をしなかったんです。
 
それから、裁判所は、東電は無資力ではないと言っている。東電には国がいくらでもお金を注入するからという理屈で、債権者代理権の行使は認められないというわけです。しかし、国は東電が無資力だから支援しているんじゃないでしょうか。
 
Misao:なるほど、よくわかりました。また、ノー・ニュークス権というのも、裁判での闘いの中から生まれた概念だということも、わかりました。
 
:ノー・ニュークス権についていうと、原発訴訟での運転差止めの判決や決定は、すべて人格権に基づいているでしょう。人格権に基づく差止めというのは、生命、身体、財産に損害が発生することについて、具体的危険性を立証した場合に認められる。これに対して、ノー・ニュークス権は、原子力の恐怖から免れて生きる権利ということだから、放射能被害に対する不安感が合理的なものであれば、その原因を排除できるということです。
 
これは原発事故であったり、原発からの放射能の漏洩によって、生命、身体、財産への被害を受ける恐れがあるという場合、その不安感に合理的な理由があればその原因を排除できるという権利なんです。つまり、不安感自体を保護するということで、これはかなりハードルが高いんだけど、放射能被害に対する不安感というのは、ほかの事故に対するものとはワケが違うし、自分では避けられないものですよね。
 
これには、いわゆる「避難の権利」も含まれていて、実際にいま、避難している人たちによる裁判の判決が次々に出てきています。その中で、避難指示区域ではないところから避難している人たち、つまり自主避難者と呼ばれている人たちの請求を、金額は少ないけど裁判所は認めているんです。その判決文を読むと、避難を決断した判断に合理的な理由があれば、損害賠償請求できるんだと言っている。不安感に合理的な根拠があれば法的保護に値すると言っているわけで、これはまさにノー・ニュークス権を認めているということです。
 
Misao:福井地裁で大飯原発運転差し止めを命じた樋口判決でも、実質的には島さんが言うところのノー・ニュークス権が認められていますよね。残念ながら、地裁の決定は高裁で覆されましたが、これは大変な意義のある尊い判決で、司法での脱原発の闘いの流れが変わってきたと思います。
 
 
―まだまだ続く「原発メーカー訴訟」―
 
Misao:いま、日本の原発輸出がクローズアップされてきていて、原発メーカーの問題を多くの人が考えるようになりました。そういう意味では、原発メーカー訴訟は早かったなと思います。「原発メーカー訴訟」は、今後も続いていくんですよね。
 
:今年の2月に最高裁に上告して、その後、先日も補充書面を出したりしています。最高裁というのは、普通、弁論期日というのはなくて、いきなり書面を送られてきて棄却とか却下とか、そういう結論が来たりする可能性があるし、いつ、最高裁の裁判官が書面を読んでいるかもさっぱり分からない。
 
いま、刻々と原発を巡るいろいろな事態が動いていて、例えば東芝は原発事業の拡大に走り過ぎた結果、経営破綻の危機に瀕しています。日立もGEも実際、原発事業は儲からないし、リスクが大き過ぎるから、もう手を引こうという方向にいっているわけで、それが日々、色んな形で表面化してきているので、そういった事情も裁判所に継続的に提出していこうと思っています。
 
原賠法の第1条に、この法律は「被害者の救済」と「原子力事業の健全な発達」を目的とすると書いてあるんですが、これが諸悪の根源ともいえるわけです。なぜなら、原子力事業の発達のために、原発メーカーの免責という条項が生み出されるからです。そもそも「被害者の救済」とその被害を生んだ「原子力事業の健全な発達」なんて矛盾した話ですよね。原賠法が制定された1970年代当時は、原発への期待は高く、またその安全性も疑われていなかったんだろうけど、今や、そんなものは崩壊しているっていうのが現実なんだから、そこをアピールしていきたい。このような現実についても継続的に主張していきたいと思っています。
 
 
―孤独な裁判官―
 
:訴状は162ページあるんです。そのあとも、100ページを超える書面をどんどん出しているし、100ページを超える意見書を何通も出してきた。僕らなりの法理論を着実に積み上げてきています。裁判というのは、もちろん勝つことが大事なんですけど、勝ち負け以上に何を残すかも大事なんです。ただ負けたのではなくて、これだけのものを残したっていえるか。次の裁判にバトンを渡すから、これをもとにステップアップしてねということ。例えば、最高裁判決には、単に多数決による一つの結論だけじゃなく、そこに至る考え方が違うとか、自分は反対だったとかいうような、個々の裁判官の意見が書かれることがある。それこそが次の裁判で反対の結論へと繋がる財産になるんです。
 
Misao:日本の裁判ももっと開かれていけばいいですよね。まだまだ理不尽な判決をよく目にします。自分もツイッター上での名誉毀損で訴訟を起こしたことがあり、相手に反訴された結果、先方が18万円程支払うということで全体的には勝ったのですが、1箇所だけ相手が勝ったところがあり、それはとても納得できない決定でした。
 
:『絶望の裁判所』という本が売れたり、裁判所の仕組みはこうなっているから希望なんて抱いたってダメだとか、そんな話がどんどん出てくるし、判決を見てもがっかりすることはとても多いよね。
 
Misao:でも、やらないとね。やらないと、なにも変わっていかないので。やっていけば、何か変わる可能性が生まれてくるじゃないですか。
 
:そうそう、ホントにそうなんですよ。裁判官というのは孤独だからね。例えば政治家は国民の投票によって選ばれていくし、内閣も民主的な手続きによって運営されていくんだけど、裁判所にはそういうものがないわけ。司法は独立した権力として、多数決で決められたものに対して、少数の人たちの権利が侵害されていないかということをチェックすることが最大の役割だからね。
 
だからこそ裁判官は孤独を感じていて、国民の声はどうなんだろうかと常に耳を澄ませているんじゃないかと思っています。裁判所が独立した機関であることはとても重要なことだけど、やはり国民の意識と大きくズレていってはいけない。だから、「法廷の外ではみんなこういう声を上げているよ」と、根気よく伝え続けていくということが、日本の裁判所を少しでも健全なものにしていくためには、不可欠なんじゃないかな。
 
 
―積み上げていけばどこかで大きな転換がくる―
 
Misao:それでは、最後に。私たちは脱原発実現のために、デモや抗議を主軸に活動をしています。島さんにも、国会前集会でライブをやっていただいたことがありますよね。ほかにも、署名活動をしたり裁判活動をしたりとか、いろいろな活動があるのですが、活動をしている方たちに対して、メッセージをお願いします。
 
:裁判も一発勝負では決まらないし、選挙だって一回ではなかなかひっくり返らない。みんなそれぞれに思いをもって、色んなことを一生懸命ことをやっているんだけど、やはり抵抗も激しいし、そんなに簡単にいくわけがないんだよね。
 
『金曜官邸前抗議』については、自分は『見守り弁護団』の一員として、一番盛り上がっているときのことも知っています。このままいけば革命が起きるんじゃないか、逮捕者が続出して大変なことになるんじゃないかとか、そんな緊迫感さえ感じました。それがどんどん収縮してきて、すっかり落ち着いたものになっていった過程も見てきています。
 
それでもクソ熱い夏と凍える冬を何度も越えて、色々な人たちがそれぞれのやり方で地道に活動を続け、どこかで局面が大きく変わる準備を少しずつしている段階だと感じています。エネルギー転換を目指し、日本中至るところで変化が起こってきていることは間違いのない事実で、そういう土台のようなものもなくて、急に劇的に変わるということは逆にいえば無理なことだと思う。
 
エネルギー転換のための基礎工事みたいなものが、まったくゼロのところからすごく進んできている。政治に対する関心というものも、3.11の前の僕ら国民の認識が大きく変わってきていることは間違いないしね。だから、簡単に変わらないのは当たり前だとしても、確実に前には進んでいるはずだし、そう信じています。
 
それぞれの立場で自分のやれることは限られているけど、その中で一個一個積み上げていけば、どこかで大きな転換期を迎えるということは間違いないと思うし、問題はそれがどのぐらい先なのかということだけ。一人ひとりが成長してきたことを踏まえて、ここから先どこまでさらに積み上げていけるか、いい形で連携しながらやっていければと思うし、続けてやっている人たちに対しては、本当に心からリスペクトしています。それは本心ですね。
 
 
(2018年9月11日:東京都中央区にて)
 
 
島昭宏 <プロフィール>
1962年名古屋市生まれ。1985年よりロック・バンドthe JUMPSボーカル。翌年にはブルーハーツ、レピッシュらとオムニバス・アルバム『JUST A BEAT SHOW 1986.3.8 YANEURA』を発表、その後も多数のCD等をリリースし、現在も活動中。また、時代の転換期に直接対峙すべく、2010年末よりロック弁護士となり、2か月半後の3月11日に福島原発事故を迎える。2014年には約4000名の原告による原発メーカー訴訟を提起し、新しい人権「ノー・ニュークス権」を提唱。これを国民に広げるため、小澤亜子(ex.ZELDA)らと共に島キクジロウ&NO NUKES RIGHTSとしても活動を開始。
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<予告>NO NUKES! human chains vol.06
このインタビュー・シリーズでは、ゲストのかたに次のゲストをご紹介いただきます。島昭宏さんからは、ミュージシャンの後藤正文さん(ASIAN KUNG-FU GENERATION)をご紹介いただきました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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