NO NUKES PRESS web Vol.003(2018/03/22)

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NO NUKES PRESS web Vol.003(2018/03/22)

 
NO NUKES! human chains vol.01:古賀茂明さん ロングインタビュー (聞き手:Misao Redwolf)
 
福島原発事故発生から7年がたちましたが、原発事故はいまも続いています。事故収束もままならず放射能の放出が続き、避難生活者も5万人と言われています(2018年3月現在)。圧倒的脱原発世論を無視し、愚かな現政権は原発を推進していますが、原発に反対しエネルギー政策の転換を求める人々の輪は拡がり続けています。【NO NUKES! human chains】では、ゲストの皆さんへのインタビューを通じ、様々な思いを共有していきます。

【NO NUKES! human chains】Vol.01では、元内閣審議官・経済産業省官僚でフォーラム4提唱者の古賀茂明さんのロングインタビューをお届けします。


【NO NUKES PRESS web Vol.003(2018/03/22)】NO NUKES! human chains vol.01:古賀茂明さん @kogashigeaki ロングインタビュー (聞き手:Misao Redwolf) http://coalitionagainstnukes.jp/?p=10725

 
 
-電力業界はおかしな世界-
 
Misao:古賀さんは反原連主催の国会前集会で何度もご登壇くださったり、これまでもよくお話しさせていただいているのですが、前から聞いていたようで聞いてなかったのが「なぜ脱原発派になったのか」。その経緯を伺いたいと思います。

古賀:私は経産省にいたから、原発のことやエネルギーのことに詳しいのではないかと、まわりの人からは見えるかもしれないけど、特に原発やエネルギーの専門家ではなかったんですね。私の経歴のほとんどは、経済政策や産業政策、貿易など国際的な通商をずっとやっていて、エネルギー政策に直接タッチしたことはなかったんです。

では、なんで私が脱原発について発言しはじめたのかというと、私はもともと経済政策や産業政策のなかで「競争政策」というのをやっていた。競争政策とは「独禁法(独占禁止法)」などのことで、電力というのは地域独占じゃないですか。そういう観点で、独禁法をちゃんと施行しようと思うと、独占企業はある意味敵なんですよ。だから、電力会社に対しては全く良いイメージがなくて。

ただ、東電の人たちとかJ-POWERの人たちとか仲良しの人たちはいましたね。いまではすごく偉くなった人たちもいます。電力会社は、経産省で将来を嘱望されているような幹部候補生との飲み会をよくやるんです。私も、省内の偉い人に目を付けられて、よく連れて行かれました。

Misao:それはいつごろのお話しですか?

古賀:私が課長補佐から管理職になるぐらいのころで、20年以上前、福島の原発事故のずっと前ですね。そのころ、親しくなった人たちと話をする中で「この人たちは少しおかしいのではないか」という感じがすごくしたんですね。その人たち個人というよりも、「おかしな世界だな」という感じね。

たとえば、料亭。経産省の役人と電力会社の社員が一緒になってワイワイやるというのは、世間的にはよくないですよね。スキャンダルにされることを役人も心配するわけです。そこで、電力会社しか使わない店があるんです。要するに、電力会社のいろいろな部署が、毎日、入れ替わり立ち替わり、いろいろな人たちを接待しているという。そうすると、そこの板前さんから仲居さんまで、ほとんど全員が電力会社に雇われているような感じになってしまう。

Misao:電力会社御用達というよりも、お抱えの店って感じですね。

古賀:そういう店が、電力会社とかJ-POWERとかそれぞれにあるんです。店側も、情報を少しでも漏らしたらもう使ってもらえなくなってお客がゼロになるから、秘密を守るんですよ。私にも、電力側は言うんだよね。「古賀さん、この店は絶対に大丈夫ですから、なんでも言ってくださいね」と。そんな感じで何か変だな、と。それから、彼らは私たちのことは立てますよ。でも、話をしていると超上から目線で。要するに、自分たちが一番偉いんだと。独占にあぐらをかいているわけです。
 
 
-パリでの気づきと大騒ぎ・電力業界とのなれそめ-

古賀:その当時、私は独禁法を担当している産業組織課長をやっていたんですが、そのポストのすぐ後でパリのOECD経済協力開発機構に出向しました。OECDでは競争政策や産業政策をやる部局にいたんですが、世界中の先進国のクラブが規制改革の議論をしていたんですね。金融と通信と電力の3つをどういう風に自由化していくかという議論で、それをやらないといけないという大前提があって、どう進めるべきかという議論をしていたんです。

日本では、金融と通信は自由化をやっていたんです。その少し前までは、銀行の金利は全行一律で競争しないのが原則だった。夏にボーナスを預けると小さなお皿がもらえたりとか、せいぜい、それが競争だったんですね。金利の競争なんて禁止されていたけど、どんどん自由化していきましょうという流れではじまっていた。銀行も次々に合併したり潰れたりとかして。

通信もNTTを分割しました。携帯についても、携帯の電話機は最初は売れなかったんですよね、全部レンタルで。肩からかけて歩く大きい電話機でしたね。それが、モトローラのロビーイングでアメリカ政府が日本政府に要求し、自由化させられた。それで、AUとかKDDI、ソフトバンクとかが生まれてきて、いま競争している。

それと全く同じコンテクストで、OECDでは電力の自由化の議論もやっていたわけ。だけど、日本ではそんな話は全然なかったですよね。「世界ではこういう流れになっているんだ」と、すごく驚いたわけです。私は原発のことは詳しくなかったけど、「安全でクリーンですとかやっているのが、なにかウソっぽいよね」「電力はうさんくさいな」と思っていたのは正しかったんだと。電力の独占をなんとかしないといけないと考えはじめました。

OECDではみんなで議論して、レポートを提出するんですね。そのレポートに「日本の電力業界は発送電分離をするべきだ」ということを書き、意図的にそれを読売新聞に出したんです。パリに行って1年も経たない1988年の1月4日だったんだけど、「古賀を日本に戻せ」と大騒ぎになりました。そんな騒ぎの中、私もよく知ってる東電の人がパリまで来て、OECDの事務局を一生懸命オルグするわけ。「そんなこと(発送電分離)は日本ではできないんだ」と。私もその人と議論したんだけど、全然聞く耳をもたなくて「そんなことはできるはずないでしょう」の一点張り。

私がそのときにイメージしたのは、発送電を分離して競争すれば、電力会社もあぐらをかいて商売ができなくなり、「私の電力を買ってください」と一生懸命競争しなければならなくなるという世界。自然エネルギーはこれからどんどん広がっていくということが、パリにいてよくわかったんです。

いまでもよく覚えているんですが、東電の企画担当の人たちに、こう言ったんですよ。「世界の流れは決まってるんですよ。電力は自由化されて発送電分離され、自然エネルギーがどんどん広がっていく。あなたたちの仕事はどうなるかというと、太陽光パネルを持って一生懸命「うちの電気を買ってください」と行商に出ないといけないよ」と。

Misao:80年代のそのころから、世界ではすでに自然エネルギー重視だったんですね。

古賀:ヨーロッパはもちろんアメリカも入って、そういう議論をしていた。日本だけが完全に孤立していた。金融とか通信は、当時の大蔵省や郵政省がそれに気がついてやってました。嫌々やるというよりは、自分の国の産業の競争力を維持して、潰れないようにするためには、そうせざるを得ないんだという感じで。通信はアメリカの圧力があったし、金融もアメリカの銀行が入りたいという思惑があり、本当に喜んでというわけではないけど、自分たちで判断して自由化に進んでいったわけです。ところが、経産省だけは全然できない。電力の虜になって、とんでもないやつらだなと思った。私と電力業界の真っ向からの対立がはじまりました。

この騒ぎのあとで、次官だった人がパリに遊びに来たときに言っていたのは、「お前ね、自分のやっていることがどれだけ大変なことがわかっていたのか」「もう、ひどい目にあったんだぞ」と。「電力会社だけじゃなくて、自民党の偉い大臣とか議員とかからガンガン言われたぞ」と言いながら、「でもあれでよかったんだな、あれで初めて電力の自由化の議論が本格的にはじまったんだよ」と言ってくれたんですね。その人はわりとまともな人でしたが、もう経産省をやめて、いろいろなところを天下りしてました。

普通、経産省の中では優秀な連中は産業政策をやる。いまだと経済産業政策局というのがあるんですが、そこと、いまは資源エネルギー庁になりましたが、通産省当時は、電力関係の公益事業部とか石油部とかを行ったり来たり、ときどきほかの部局にも行きながら偉くなっていく。私は電力業界と対立しているから、資源エネルギー庁には一切、行けなくなったんです。これが電力業界とのなれそめですね。
 
 
-福島原発事故・脱原発の闘いのはじまり-

古賀:福島第一原発の事故が起きたときは、民主党政権でしたよね。私は、事故の前に民主党政権と公務員改革でケンカしていたんですね。仙谷さんが官房長官をやっていたときに、前川(喜平)さんみたいに国会に呼ばれて、前川さんはやめた後だけど私は現役の官僚として呼ばれて、みんなの党の議員が「古賀さん、民主党の公務員改革の政策をどう思いますか」と聞くわけです。参議院の予算委員会総括質疑でしたから、全大臣出席の中ですよ。私は、迷ったけど思い切り「民主党の公務員改革はとんでもなく後退してます」と言っちゃうわけです。すると、仕事がもらえなくなって、ずっと官房付というポストで個室に閉じ込められちゃった。

ちょうどそのときに原発事故が起きて、周りのみんなは大変だったんだけど、私は何かやろうとしてもやらせてもらえない立場にいました。ちょうど「日本中枢の崩壊」という本を書いていて、そろそろまとめだなというときだったので、事故のことは書かないといけないなと、スケジュールを少し遅らせて事故のことを書きました。ちょうど事故の後、みんながいろいろワーワーやっているじゃないですか。見ていたら、やっぱり政府はとんでもなく間違った方向に行っているなと思ったんですね。

普通なら「とにかく原発は絶対にやめた方がいいよね」と、非常に簡単に結論が出ると思うんですけど、まず原発を守ろうとしているというのがひとつ。それから、東電を大きな流れで見てわかっていれば、この際、東電をつぶして、つぶすといってもなくすわけじゃないけど、発送電分離をやること。発電所をいくつかにわけて分離させて独立させて、株式上場させて別会社にして競争させれば、即、発送電分離できるわけです。

あのとき、東電は政府が支えないと死んでしまうという状況だったから、言うことを聞かざるを得ないわけです。それをやらせるべきなのに全然そうではなくて、銀行に2兆円入れろと無理矢理融資させたりとかしてた。その代わり、いろいろな裏取引もするんですね。マスコミは全然書かなかったけど、元官僚の私の目から見たらわかるわけです。

間違った方向にいくのを止めなければいけないと思い、発送電分離と東電の破綻処理をしなければいけないという提言を書いて、ある人に民主党政権に届けてもらったんです。提言は内閣官房長官の仙谷さんや国家戦略担当大臣の玄葉さんに上がって、一時はこれはいいじゃんといきそうになったということなんですよ。でも、東電などの電力会社が圧力をかけてそれをひっくり返すわけです。そこからが、私の脱原発の闘いのはじまりという感じですね。

そのころ、原発についていろいろ勉強をしました。とくに佐藤暁(さとし)さんという人から教えてもらいました。この人、本当に原発のプロなんです。話し方は朴訥とした感じで、目立つパフォーマンスをしないので、あまりマスコミには出てこないんですが、それでも報道ステーションなどで事故直後はよくコメントしてました。彼はいまはコンサルティングなどをやっていますが、福島とか、沸騰水型の原発のほとんどをつくっている原子力技術者なんですよ。でもそれだけじゃなくて、加圧水型も含めて、原発のことならこの人の右に出る人はいないということで、大手電力の会長や社長にも直接アドバイスするぐらいの人です。東電がフランスのアレバと交渉するときも、東電の人は交渉できないから彼が行くんです。それぐらいの人なんです。

ところが彼はすごい良心があるというか、原子力技術者としては原発の安全性は論理的には可能だと言いながら、「少なくとも、この地震大国の日本では絶対にムリだ、絶対におかしい」と私に教えてくれたんですね。大阪に行って橋下(徹)さんのところでエネルギー戦略会議をやったときにも、佐藤さんに入ってもらいました。原発は安全ではないということが佐藤さんに教えてもらってよくわかったし、それからゴミの問題も全然ダメだよねということがよくわかりました。

あと、避難計画の問題ですね。これを日本はちゃんとした規制基準に入れていない。要するに、規制委員会はなんのためにつくったかというと、原発を動かすために民主党が慌ててつくったわけです。とにかく動かすために規制基準をまずつくれと。普通だったら、まず福島第一原発をどうするんだということなのに、それをやらずに。だから、汚染水のダダ漏れの状態を一年続けたわけでしょ。そして、福島よりも、まず先に原発の規制基準をつくって、それに適応したら動かしますと。経産省の中にいて官僚の目で見ていたら、政府は何も反省していないし、原発を動かせばいいんだと考えてる。そのために、国民をどうやってだますかということを考えているとわかるから、なんとかしないといけないと思い、ずっと動いていたんですね。

公務員改革の批判をしたときまでは、経産省をやめろということにはならなかったんですが、原発について声を上げたら、すぐにいられなくなりましたね。2011年9月の終わりに経産省を辞めたんですよ。それ以降は、どこにも属さず。それは電力業界と原発を見ていたからで、どこかの会社の世話になったら絶対に虜になるから。いろいろな人が、いろいろ言ってきましたよ。支援するからとか、丸の内に事務所を提供するとか、月100万円出すとか言ってきたけど全部断って。以来、職業は何かと言われると一番困るんですね。
 
 
-おかしなことをやるのはイヤだ-

Misao:私からみたら、古賀さんは言論人というか、本を出したり講演したりとか、いまはそんなイメージがあります。

古賀:作家というほどでもないし、評論家というのも何か違うし、活動家というほどの活動家でもないし。

Misao:古賀さんは古賀さんなんですよ。でも、そこで権力に取り込まれてしまう人もいるわけですよね。あと、職を失いたくないからほどほどにという人がほとんど。だけど、そうしないというのは、古賀さんの中に生きていく上でのポリシーというか、そういったものがあったということですよね。

古賀:ポリシーというのを最初から考えて持っていたかというと、たぶん違っていて、なにかやりたいようにやってきたという感じです。もちろん、役所に入って一年生のときから、やりたいようにやっていたかというとそんなことはなくて、やりたくないことばかりやらされていたわけです。

だけど、だんだん自分が力を持ってくるにつれて、役所のなかでも影響力を持つようになるわけですよね。私を慕ってくれる部下もたくさんいる。課長としてというのではなくて、一種の「改革派」みたいな感じで、次官や局長と闘っていくというようなキャラクターになっていて、「あいつは変わっているけどおもしろいな」というふうに見られるようになったんですが、そのころから自分のやりたいことをやろうと考えるようになりました。

役所でやりたいことを曲げずに本気でやっていると、そこにいられなくなったり、いろいろなところと対立したりします。はっきり言って、役所では偉くなるのは簡単ですよ。次官になろうと思えば、適当にいい加減に生きていけばなれるけど、おもしろくないですよ。それは私からみると全然、魅力的ではない。「次官になりました」と喜ぶ次官の姿を見ても全然、ああなりたいとは思わない。それよりも、自分の好きなことを好きなようにやっていったほうが、自分的には楽なんですよ。

正義のために国家のために、人のためにとか格好のいい言葉はあるかも知れないけど、一番の理由は結局、自分が生きていてそちらの方が楽だということですね。みんな「大変ですね」と言ってきてくれるけど、もちろん大変な面もあるけど、そこで自分を曲げて人に媚びて生きていくときのストレスもあるわけです。そちらの方がはるかに大きいな、という気もするんです。

Misao:私も外からの評価や地位よりも、自分が納得できるかどうかが大きいです。自分が納得できないことをやってると、気持ち悪いじゃないですか。だから、自分にとって楽というのは、自分自身がやっていることに対して自分が納得できているのかということにつながるのかなと思います。

古賀:要するに、おかしなことをやるのはイヤだということです。

Misao:イヤですよね。「あのときにこうしておけばよかったな」とか、死ぬときに自分を恥じるなんて、なんかイヤな気分になりそう。

古賀:人によってはお金が欲しいとか、あるいは人からチヤホヤされたいとか、そういう気持ちが強い人もいるんだろうなとも思います。私も経産省を辞めた直後はマスコミでもてはやされて、テレビも報道ステーションにずっと出ていたし、辞めた直後は断るのが大変だというくらい仕事が来たんですよ。そういう意味では、その業界ではチヤホヤされたりしたけど、だからといってテレビに出るためにあまり変なことは言わないようにしようとか、そういうのは全然なくて。
 
 
-I’m not ABE-

Misao:だから「I’m not ABE」なんですね。

古賀:みなさんはアレ(「 I’m not ABE」のプラカード)を出したから降板させられたと思っているようですけど、そうではなくて、辞めさせられるとわかってたから出したんです。最後に何を言おうかと考えたときに、口で言うだけではよくわからないから、アレを出した方がいいと思ったんです。あの放送は2015年3月27日なんですが、「「I’m not ABE」を世界中に発信しましょう」と最初に言ったのは、1月23日の報道ステーションなんですよ。

何でそう言ったかというと、後藤健二さんがISに捕まっているときに安倍さんが中東に行って、ISと闘う国に2億ドルを援助しますとバカなことを言った。後藤さんを殺すために言ったようなものです。間違ったメッセージが世界中に伝わるから「安倍さんの言っていることは私たち普通の日本人とは全然違うんですよ。私たちは安倍さんとは違います」ということを世界に発信しないといけないと思ったんです。あのころ一生懸命みんなで「安倍政治を許さない」を広めていたけど、海外の人が見てもわからないから「英語で「I’m not ABE」を掲げよう」と言ったら、菅官房長官が秘書を通じてテレ朝に圧力をかけてきたんです。

Misao:なるほど。そのときに圧力がかかったんですね。

古賀:その圧力に負けてテレ朝が「出演は3月までです」と言ってきて、では最後にということでやったんです。逆に言えば、その前の段階で「そんなことはもう言いません」と言ってうまくやろうと思えば、その後も出してもらえたと思うんですよね。でも、全然そんなことは考えなかった。その前も、ワイドスクランブルなどにレギュラーで出ていたけど、そのときもいろいろ変なことがあってケンカして、テレ朝の常務さんだったかな、怒鳴り合いのケンカをして。そういうこともありましたね。

Misao:そのケンカの原因はなんだったんですか。

古賀:なんだったか忘れちゃいましたけど、とにかく、自分の言いたいことは言わなくちゃといつも考えていたんだと思います。そういうことも含めて、自分が正しいと思ったことをやり続けようと。

あと、いまやいい加減なことができなくなったね。そういうことをしたら、いままで自分がやってきたことが何だったのかということになっちゃうじゃないですか。いまはテレビに出してもらえないし、お金になる仕事もどんどん減ってきているけど、それで自分の生き方を変えようという気はいまさら起きないという感じですかね。

Misao:古賀さんのそういうところに私はすごく共感しています。「I’m not ABE」のときは、わたしたちを代表してやってくれたと感じた人たちも多いと思います。なかなか、そこまでできないじゃないですか。
 
 
-安倍批判だけではなく批判すべきはシッカリ批判する-

古賀:「よくやった、普通はできません」と言われるんですが、そんなに難しいことではないんです。私は何かに媚びたりしないでやっているから、一時は反安倍の象徴みたいになっていたんですが、私は別に安倍さんに反対するために生きているわけではないので、安倍さんじゃなくても、ほかの人だって変なことをやっていれば批判しますよ。民主党がおかしければ民主党も批判するし、維新のことも批判するし、私が批判していない政党はたぶんないと思います。

ここのところおかしいなと思うのは、安倍さんが嫌いな人は安倍さんを批判する人が好きなんですよね。その人がどんな人でも、安倍批判さえしていればいいわけ。私は考え方が違っていて、安倍さんを批判しているその人自身はどうなのかと考えますね。そうすると、おかしな人はいっぱいいるわけです。特に過去の言動を見ると、この人は全然信用できないなという人はたくさんいるけど、大きな声で安倍批判をすれば人気が出るわけ。それをわかってやっている人がたくさんいる。

だけど、安倍政権を倒して、そういう人を政権においたらどうなるかというと、また同じようなことが起きるんですよ。憲法改正はしないかも知れないけど、同じようなおかしなことをするんですね。私はそういうことで、いまなら一番人気のある立憲民主党でも批判するし、彼らが出す『原発ゼロ基本法案』も、もしかしたらアリバイ作りだろうという人もいますよね。このインタビューが出るときまでにどうなっているかわからないけど、そういうこともちゃんと見極めて言うべきだと思うんです。

政治資金規正の話でも、立憲民主党とかが規正法を出すと言っているけど、本気なのかなとか、希望の党の玉木雄一郎さんも国民に本当のことを言ってるのかなとか、疑問があれば、それも書くんです。するとおもしろいことに、Twitterのフォロワーが減るんです。私は減ってもいいと思うんですけど、なんて言うか、もう少し安倍さんを批判する人たちも、自分たちのリテラシーを高めて、いいこと悪いことをちゃんと見極めて、立憲民主党を応援するなら立憲民主党が変な方向に行かないように、自分たちがリードしていくぐらいのことをやらないとね。いまは立憲民主が一番人気があるし、だったら、頑張ってもらわなくちゃいけない。でも、絶対に裏切られないように、しっかり市民がリードする。政治家も、真面目な人だったらその方がやりやすいと思いますよ。

市民連合とか、みんな野党共闘とか言っているけど、基本姿勢を少し変えるというか、バージョンアップした方がいんじゃないかなと私は思っているんですね。いまは、野党にお願いしているんですね、市民の側が。でも、お願いすることではないでしょう。自分たちの考えをまずはっきりと出して、これでやってくださいと。やらないなら私たちはほかの人を応援しますという、そういう世界に持っていかないと、いつまで経っても自民党が嫌いだから立憲民主党でやってみた。そうしたら、またおかしなことになった。ああ、どうしようかな、という繰り返しになっていく可能性もあるんですね。

だって、民主党のときに散々裏切られたわけじゃないですか。あれを考えれば、いかに市民、庶民のことを真剣に考えてくれて、しかも日本の経済をちゃんと立て直してくれる、そういう本物の政治家や政党を育てていくのかという、それをいまからやらないと大変ですよ。

Misao:私も社会活動(市民運動)に10年以上かかわってきましたが、いま古賀さんの話を聞いていて、おっしゃることの意味はわかります。原発事故後はいろいろな人が入って運動も膨らんできてはいますが、結局いま現在一番がんばっているのは、もちろん無党派市民層でも頑張ってる人やグループはたくさんいますよ、それでも、労組とか組合のような感じになっているし、もっと無党派市民層の力を強くしないといけないと感じています。何か押し上げていくような力がまだ足らない。
 
 

-山歩きと落語- 

MIsao:話題が変わりますが、古賀さんの趣味について伺いたいと思います。山歩きが好きだと聞いたことがあります。

古賀:山歩きは結構やってます。ただ、最近は時間がなくて、この間ハイキングには行きましたが、この1年はほとんど行けてませんね。去年は夏に北海道で一番高い大雪山系の旭岳に登ったり、あとアメリカのグランドキャニオンでキャンプしたりとかもしましたけど、もともと、特に大学で山岳部だったとかワンダーフォーゲルやっていたとかではなくて、学生のころはずっとサッカーとかしかやったことがなくて。

Misao:スポーツ少年だったんですか。

古賀:サッカーとキャンプかな。中学のときからキャンプの同好会をつくってね。アウトドアは小さいときからで、小学生のころから、ランドセルだけは邪魔だから家において、一旦出かけたら夜まで帰らないという生活をしてたくらい、元々外が好き。だから子供のころは本とか読まなかったんです、読めない。マンガさえ読めない。マンガを読む時間があるなら外で遊んでいたい。

昼間に外で思い切り遊んだら、夜は起きていられない。毎日、テレビも見ないで8時や9時に寝ちゃってました。走り回って泥々になって疲れ切っていて、帰ってくるとご飯ができているわけです。ギリギリまで遊んでいるから、お風呂も入らないでまずご飯を食べて、汚れているからお風呂に入って、いつも転んだりしてケガしているから、お風呂に入ると痛いんだ、キズが。「痛い、痛い」と言いながらお風呂に入って、上がってきたらクタクタになって、そのまま寝るという幼少期。

そういう意味では、素質みたいなのがあったのかも知れないけど、山登りをはじめたのは10年ちょっと前かな。私は役所でずっと闘いの連続で、いろいろな規制をやめましょうとかムダな予算を削りましょうとかやって、経産省の中とかよその役所と闘っていたときに、そのストレスがあったのかも知れませんが、大腸癌になったんですよ。51歳になる直前でした。手術をして、これくらい(20センチくらい)大腸を切って。しかも早期ではなくてリンパ転移とかしていたんで、その後に抗がん剤も飲んでました。

そうしたら、中高と私は麻布なんですが、全然親しくはなかった同級生が「古賀がガンになったらしい、あいつを元気にしなくちゃいけない」と私のことを考えてくれて、そいつが山をやっていて山がいいんだと言うんですね。病み上がりなので急に高い山はダメだから、最初は低山で簡単に登れる高尾山に行こうと言うんですよ。当日会ってみたら、たかが高尾山に行くのに、そいつは重装備をしてて、何があっても大丈夫だと。こんな大きなリュックを開けたら何でも入っているんですよ、トイレットペーパーからなにから。古賀が途中でどうなっても対応できるようにと、あらゆるものを持ってきてくれた。うれしかったですね。

それがきっかけで山歩きをはじめたらおもしろくて、毎月一回ぐらいいろいろなところに行きました。それで、すごく元気になったんですよ。最初5年ぐらいはガンの再発の可能性があるというので年中検査もするし、5年生存率何十%という世界だからドキドキしながら生きていたんだけど、10年経って、いまはもう心配なくなりました。これからもその意味でも山登りは続けようかなと思ってます。

だけど、誘ってくれたやつが死んでしまったんですよ。一緒に高尾に行った3年後に、富士山に行って帰ってきて、先天的になにかあったんだろうけど、くも膜下出血で亡くなったんです。だから、本格登山をするときなどは、みんなでそいつの写真を持って行きます。私のことを考えてくれて私が元気になって、その人が死んでしまったというのは何かあるなという感じもします。だから、今後も山歩きは続けていきたいなと。

この近くで来週登ろうかという話もあったんだけど、雪が深いから暖かくなってからにします。雪山は行かないんです、危ないから。あと、山ではなく夏に海に行ってよくキャンプもやりましたね。沖縄はキャンプではないですけど、大好きでよく行ってました。

Misao:いままで登っていないところで登りたいところはありますか。

古賀:私はまだ富士山に登っていないんです。富士山は空気が薄いし、あまり年取ってからだと大変だろうから、この1~2年のうちに登った方がいいかなという気はしてますね。あとは、そんなに高いところは登ったことがないから、いろいろ登りたいところはたくさんあって、少しずつ危なくない範囲でやっていきたいなと思います。

趣味は、あとは落語。落語聴くのが大好きで、ただ、だんだん守備範囲が狭くなってきたというか、昔は好きな落語家が何人かいたんだけど、いまは柳家権太楼という人の落語しか聴かないんです。聴くのは、CDも買ったりはするけど基本的には寄席とか、独演会にも行きます。おもしろいですよ。

Misao:私はまだ落語の醍醐味がわからなくて。

古賀:女の人で落語好きな人は、わりと少ないという印象ですね。なんでなのかな。うちの妻を無理矢理寄席に連れて行くことがあるんですが、見ていると集中度が違うんですよね。私は、その世界にどんどん引き込まれていくんですよ。でも、うちの妻は「この人はどんな人だろう」とかそんなことを考えているようで、女性の方が思考が常にマルチなんだろうな。そうすると、そこにめり込めないからおもしろくないんですよ。もちろん、性別というより、人によるということだと思いますが。でも、とにかく一回、聴いてみたらいいですよ。
 
 
-脱原発運動へのメッセージ-

Misao:最後に、古賀さんも何度も脱原発の国会前集会に登壇いただいているのですが、市民運動というか、デモや抗議活動に参加している人たちに対してメッセージをお願いします。

古賀:とにかく続けることが大事です。波があるから常に盛り上がっているわけではないし、いまは福島第一原発事故からだいぶ時間が経って、参加者が少ないなと思っている人が多いと思うんだけど、でも必ずどこかでまた波が来ますから、そのときにあの場(金曜官邸前抗議)がないとはじまらないんです。あの場があれば、波がきたときに一気に盛り上がるんですよね。絶対に続けるというのが一番大事で、是非続けてください。

もうひとつは、あの場に行くというのは大事なんだけど、そうではないときにいかに仲間を増やすかということです。それがなかなか難しいんですけど、この問題にあまり関心のない周囲の人たちの中にも、話を聞いてもらえば理解してもらえるという人が絶対にいるはずです。問題を知らないから反対していないという人もたくさんいるので、なんとかして聞いてもらうという努力。

それは、ビラを押しつけたりとか一緒にあのデモに行こうよというのではない形で、相手が拒否反応を示さないような形で巻き込んでいくという感じですね。それにはテクニックがいるし根気もいるし大変なんだけど、でも一人がひとりの人を見つけると2倍になるわけです。倍々と増えていけば一気に増えていくので、そうして素地を少しでも広げておけば、なにかというときに大きな力になる。それを、是非考えてほしいなと思います。

そのためには、自分自身がそういう人たちから見て魅力的な人間になるということが大事かな。「あいつ変だよね」と敬遠されず、「あの人の話なら聞いてみようか」と思われるように。媚びる必要は全然ないし、自分のスタイルは持っていた方がいいし、一目置かれる感じで変わっていてもいいけど、「あの人は何かいいよね」と思ってもらえるよう、人格形成を目指しましょう。私自身もそうしなくてはいけないなと思ってます。

Misao:みんながそう心がけていけば、いい雰囲気になりますよね。

古賀:やっぱり脱原発、反原発と言っている人は結構多いよねと、そうなっていけばいいなと思います。

(2018年1月29日:恵比寿にて)
 
 
古賀茂明 <プロフィール>
元内閣審議官・経済産業省官僚、フォーラム4提唱者。1955年長崎県生まれ。東大法学部卒業後通産省(現経産省)入省。産業再生機構執行役員、経産省経済産業政策課長、中小企業庁経営支援部長、国家公務員改革推進本部事務局審議官などを歴任。霞が関の「改革派の旗手」として活躍後、2011年9月退官。朝日放送「キャスト」火曜日レギュラーコメンテーター、テレビ朝日「報道ステーション」元コメンテーター。2015年3月「改革はするが戦争はしない」市民のプラットフォーム『フォーラム4』結成。同年5月、外国特派員協会「報道の自由の友賞」受賞。
著書:『日本中枢の崩壊』(講談社)、『官僚の責任』(PHP新書)、『日本中枢の狂謀』(講談社)、『国家の共謀』(角川新書)、『THE独裁者』(望月衣塑子氏との共著、KKベストセラーズ)など、『AERA dot.』『エコノミスト』『プレイボーイ』などに連載中。
ネットサロンSynapse「古賀茂明の時事・政策リテラシー向上ゼミ」
Twitter @kogashigeaki メルマガ(講談社 現代ビジネス)

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撮影:佐々木芳郎 

<予告>NO NUKES! human chains vol.02
このインタビュー・シリーズでは、ゲストのかたに次のゲストをご紹介いただきます。古賀茂明さんからは、城南信用金庫・顧問で「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」(原自連)会長の吉原毅さんをご紹介いただきました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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