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台湾「不要核四,五六運動」(「第四原発不要、五六運動」)グループからのメッセージ
Posted on 4月 3rd, 2014
【日本語訳】
台湾からのメッセージ
日本反原発運動に参加される友人の皆様
思い出してみれば、去る2012年3月11日は日本福島原発事故一周年の日にあたり、日本市民の皆様にとって哀悼に満ちた日でした。しかし、その日にはここ台湾の政府側は自らの原発政策に関して、もはや国民の誰一人反対する人間は存在していないという大言壮語を披露し、鈍感な対応を示したことで、一気に台湾市民全体の反感を招きました。そのため、我々市民は数多く総統府の前に集まり、巨大な「人」という文字の図形を作り、その現場で「我是人,我反核」(「我は人間なり!我は反核なのだ!」)というスローガンを掲げて、民意を示しました。
そして、2012年福島原発事故二周年の日に、「原発廃止」の要求を打ち出し、台湾全国は22万人の市民が盛大なデモ抗議が行われ、町を練り歩き、全国的に大きな反響を巻き起こしました。その後国民への世論調査によると、七割の台湾市民が「第四原発廃止」に賛同の結果が示されました。そのため、我々は「原発廃止」の行動はこのままやめるべきではないと判断しました。そこで、同年の3月15日の日から、毎週金曜日夜六時に中正記念堂「自由広場」にて、街頭演説のみかん箱の演台を作り、市民の集会とスピーチを行い、「原発廃止」の行動を継続させることに敢然と決定しました。これをもちまして、この市民運動を「不要核四,五六運動」(「第四原発不要、五六運動」)と名づけることにしました。
我々は組織もなく、経費もなく、対外的に募金することを一度も試したことのない、いわば、規律のない未組織・未編成の人たちです。この運動の発足者はただでさえ、権力も財力も持っていない映画監督・俳優・文芸文化の従事者たちばかりです。我々は実際は天真爛漫な愚直な正直者であり、人の目からみれば、ただの頑固な馬鹿者としか映らない者ばかりです。しかし、これまでの一年間の歩みを振り返ってみれば、各地から自発的に「自由広場」に足を運ばせ、演台に上がり、講演する演説者や歌を歌う歌手・楽団のすべての参加者のために、我々は実際には一銭たりとも謝礼をさしあげることができませんでした。このような熱心な応援者・参加者の皆様の一人一人は、他の場所で同じような演出をした場合には、相当な報酬を獲得することができるはずなのに。同じことで、現場に駆けつけ、仕事の分担をし、かれこれと協力をして下さる暖かいボランティアの仲間たちに向かって、金銭的な報酬を一銭足りとも支払うこともできませんでした。このようにして、我々はこういった友達の皆様のことをすべて同じく「ボランティア」という呼び方をさせてきております。この「ボランティア」の皆様はそれぞれ違った専門分野の才能の持ち主であり、生活上では、それぞれの負担を抱えていることが想像されます。それなのに、我々はこのような暖かい仲間たちのために金銭的な報酬を与えることができないどころか、我々は彼らのためにできることは、せいぜい冷え込んだ寒い風に吹かされ、荒い暴風雨に晒されることだけです。
考えてみれば、残酷的かつ現実的な資本主義経済によってつき動かされている現今の社会においては、こういうような運動グループの運営の仕方は全く奇跡的なものとしか言いようのないものばかりです。しかし、こういうような現象が起きて、又は可能とさせたことには、それは我々の生きている現在の時代には巨大な変化が起きつつであることを意味すると思われてなりません。それは、つまり、彼ら権力者・資産家・勢力家の共々は、もうこれ以上まるで水を得た魚のように、生き生きと意のままに小市民を股掌の上に弄ぶことが二度と許されないこととなるのを意味しているのではないでしょうか。この社会の至るところには、数多くの不平の声が存在していることと同時に、世間の隅々まできっと正義の眼がきらきらと輝いていることをも固く信じます。正に「ダビデ対ゴリアテ」といった弱小な者が強大な敵を打ち倒すような事例が次から次へと上演される勢いにあり、これまで善人顔をした偽善的な大悪人どもがもうこれ以上、隠し切れずに一人一人その正体が暴かれてきて、市民の全体から愛想をつかされ見捨てられていくように見受けます。
人類は一時の方便を貪り求め、絶えず新しい物を開発し、開放させてきました。だが、皮肉的なことには、それは同時に自らの運命を破滅の道へ押し込ませていく自業自得のような愚かな真似事でもあります。例えば、原子力のエネルギーを例にすると、それを発電の資源として使用されることで、日常生活の上で、一見好都合の効率的なもののように見えても、実際はその後遺症となるものの過大さこそ恐ろしくかつ忌まわしい物であります。それどころか、更に深刻な事態としては、代々の子孫を残害するような毒物でもあります。為政者たちはひたすら経済発展の面ばかりを重んじているばかりでは、ただただ毒を飲み喉の渇きを癒すような愚かな行為としか理解しかねることです。
日本の福島第一原発事故が起きて三周年を迎えようとする現在は、災害の被害状況が未だにも蔓延し続けている事態が台湾の我々の眼にも明白の姿として映ります。しかしながら、現在の日本には、強大な反原発の声が持続的に発してこられた成果として、そのため、現在の日本は「原発ゼロ」の状態が成立し得ていることには、それも又、日本の市民たちの切実なる要望に応えた結果として見受けられます。特にこれまでの三年間、欠かさずに、首相官邸前に毎週の金曜日に集会し、抗議が行われてきている皆様の健気な姿と根気強さは、何と言っても、我々台湾の「不要核四,五六運動」(「第四原発不要、五六運動」)の市民たちにとっては、大いに脱帽し、見習うべき良き相手仲間であり、又は遥かなる台湾よりぜひとも真摯な祝福と支援の意を表し、志を同じくしたい仲間同志でもあります。願わくば日本反原発運動の立派な友人の方々は今後とも持続的に初志を貫いていかれるように遠方より祝福の意をお送りさせていただきたいと存じます。
反原発運動はある意味で、世代・階級・国境を越えた大きな闘争となる公民運動となります。どうか我々日本と台湾の市民社会の有志者仲間たちは、更なる麗しき未来のために、完全に「原発ゼロ」を実現させてしまう時まで、弛まずに肩を並べて共に協力し努力していけますように、祈願してやみません。これをもちまして、遥か台湾より、日本反原発運動に携わっていらっしゃる皆様の幸福をお祈り申し上げます。
2014年3月9日
台湾「不要核四,五六運動」(「第四原発不要、五六運動」)グループ
指導者:
映画監督 柯一正(Ko I-Chen)
作 家 小野(Hsiao Yeh)
拝
【原文】
致日本的反核運動朋友
2012年3月11日是日本福島核災一周年,因為政府說核能政策沒有人反對,所以我們決定在總統府前排成一個大大的「人」,口號就是「我是人,我反核」。2013年福島兩周年的廢核大遊行,全國22萬人上街,民調百分之七十的人民贊成廢核四,我們認爲廢核行動不能停止,於是決定從3月15日起每星期五晚上六時在自由廣場設肥皂箱講台,舉辦人民的聚會與公共論壇,繼續廢核行動,稱為「不要核四,五六運動」。
我們是一群沒有組織、沒有經費,也不曾對外募款的烏合之眾。運動發起人只是一群沒有權勢和財力的電影導演、演員和藝文工作者,我們是一群天真浪漫的老實人,別人眼中的固執的儍瓜。我們付不出一毛錢給所有曾經來廣場上唱歌的樂團和演講者,他們在其他地方用同樣的表演方式,可以獲取相當不錯的酬勞。我們也付不起一毛錢給所有到現場幫忙的朋友,我們都以「志工」相稱。這些志工們各自有不同的專業和生活上的壓力。我們無法付錢,能給的只是冷風,只是暴雨。在殘酷現實的資本主義運作下的社會,這簡直是個奇蹟。這意味著,我們的時代將有巨變,那些有權有錢有勢的人,不再能如魚得水般的玩弄小老百性於股掌之上。每個地方都有不平之聲,每個角落都有正義之眼。小蝦米打敗大鯨魚的故事正陸續上演,假情假意的大惡人們一個個現形,被人們唾棄。
人類為圖一時方便,不斷開放新的東西,卻不斷朝毀滅前進;以核能為例,雖然用它來發電,但後遺症才是最可怕的,更嚴重是毒害下一代,只思考經濟發展面向,無非是飲鴆止渴。我們看到日本的福島核災已經邁入第三年,但災難仍然持續蔓延,我們看到日本持續有著一股強大的反核的聲音,使得日本仍處於零核電的狀態,尤其是在首相官邸前每週五的集會抗議,是我們學習的對象,也是我們遙遙遞上祝福與支持的同志,希望日本的反核運動朋友能持續堅持下去,反核是一場跨越世代、階級、與國境的公民運動,讓我們一起為更好的未來一起努力,一直到核電完全廢除為止。