NO NUKES PRESS web Vol.038(2021/02/28)

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NO NUKES PRESS web Vol.038(2021/02/28)
 
Statement:首都圏反原発連合 – 活動休止にあたり –
 
ご報告:首都圏反原発連合 -Metropolitan Coalition Against Nukes–
 
福島第一原発事故から10年。
首都圏反原発連合は、2021年3月末に活動を休止します。ただし、原発ゼロ政策が実現するまで解散はしません。これは2019年秋に内定したことですが、最後の1年がコロナ災害に見舞われるとは予想だにしませんでした。コロナ禍でもオンオフしながら続けている金曜官邸前抗議も、開始から丸9年でいったん幕を下ろします。
 

【NO NUKES PRESS web Vol.038(2021/02/28)】Statement:首都圏反原発連合 – 活動休止にあたり – pic.twitter.com/9vgu1KHiDs http://coalitionagainstnukes.jp/?p=14644

 
 

PAST
 
首都圏反原発連合(反原連)は、2011年3月11日に起きた東日本大震災により引き起こされた未曾有の人災、福島第一原発事故が契機となり組織された。事故後、東京はじめ関東では様々な団体やグループが脱原発のデモをやり始め、毎週末、どこかでデモをやっているという具合だった。そうした状況下で知り合った、事故前から脱原発活動をしてきたMisao Redwolfと、事故後、ツイッターを通じてデモを呼びかけたTwitNoNukesの平野太一が、皆で力を合わせようと、様々な団体に声をかけ、同年秋に反原連を組織した。
 
反原連を立ち上げてすぐに呼びかけた渋谷デモを皮切りに、アクションを行うたびに参加者の動員が増えていき、2012年の3.11、原発事故から1年後に国会包囲を実現した。ちょうどその頃、大飯原発再稼働が進められており、それに対する抗議が、反原連の活動の軸となった『再稼働反対!首相官邸前抗議』(金曜官邸前抗議)の起点となった。同年6月に民主党政権が大飯原発再稼働の政治判断をしたことがトリガーとなり、官邸前には万単位の人々が集まるようになった。そして、反原連メンバーが官邸で直接、当時の野田首相に面会するという流れに繋がり、当時、多く報道された。
 
この時期を契機に、反原連の活動は3.11後の市民運動をリードするものとして注目されたが、2012年末の政権交代で第二次安倍政権が発足したことにより、様々な問題が発生し市民運動のイシューが分岐してゆき、2015年頃には3.11以前の脱原発運動のように、地味で目立たない活動になっていった。多くの人々が他のイシューの活動に向かう中、一部メンバー交代を経て残った反原連メンバーで、なんとかここまで活動を続けてきたのには、それぞれの気持ちの中に「脱原発社会実現への希求」がブレなく強くあったからだ。
 
初期にはエキセントリックな新しい運動とされてきた反原連だが、次第に落ち着いた運動になってゆく中で、毎週たゆまなく実施する金曜官邸前抗議に対し「雨にもマケズ」と評されるようにもなった。しかし、私たちは雨にも風にも負けても良いし、そもそも野生動物よりも身体的弱者である人類は、雨にも風にも負けるので住居を持つわけで、そこではなく、負けてはいけない相手は原発推進派だけだ。宮沢賢治さえも本意であるか不明な「雨にもマケズ」は、裏を返せば、大日本帝國時の精神論にも通じうる言葉であることを、リベラルこそそろそろ認識を改めたほうが良いと思う。
 
また、同じ脱原発を望む人々の一部からしばしば発せられたのは「NOを言うだけではなく、代替案を」というものだったが、これについて反論をしたい。原発問題は米軍基地問題と並ぶ最も解決が困難な問題である。また、根強く複雑な利権システムや、核武装を希求する権力者により温存されているので、ここを潰していくためには、反対運動は必要不可欠である。再エネの台頭だけで潰してゆけるほど、原発ムラは甘くない。その証拠に、海外で再エネが主流になり、国際的にも国内的にも原発産業が立ち行かないことが周知されてもなお、日本では原発が推進し続けられているではないか。
 
私たちは代替案を言えないわけではなく、運動全体の中で「反対直接行動」という役割を受け持っているという意識だったが、「NOしかいえないバカな連中」ととらえる人たちもいたことは、残念きわまりない。また、脱原発実現のためには、抗議活動だけではなく、署名や裁判、はたまた脱原発の国会議員までを含むゆるやかな大同団結が必要であると考え、時には腰を低くし、従来の脱原発団体と行動を共にしたり融和する努力をしたが、一部には受け入れられなかった。デマを信じた人たちや、運動のイニシアチブを取りたい野心的な人たちに阻止された。デマや誹謗中傷の中で、しかし運動に水を差さないために、ぐっと口を閉ざして耐えた。
 
原発を推進する政府やムラとの戦いであるはずなのに、「脱原発=左翼」と認定したいネトウヨだけではなく、同じ脱原発を主張する左派やリベラルからの攻撃には酷いものがあった。全てはデマによる誹謗中傷であり、名誉毀損で訴えるべきものも多数あったが、活動の忙しさでそちらに注力できず、訴訟にいたったのは一件のみだった。「反原連は警察に参加者の顔写真を提供している」「被ばくのことを言わない」「会計報告をしていない」「SEALDsの抗議で参加者を排除している」「反原連は共産党の下部組織だ」などなど、このようなデマのほとんどは左派から発せられたのだ。左右前後から撃たれながら、よくここまで続けてきたというのが本音のひとつであるのは間違いない。
 
2021年3月末に予定している、首都圏反原発連合の活動休止まであとわずかとなった。それに伴い、3年間発行してきたこの『NO NUKES PRESS』も休刊する。最後の号で何を書くべきか思案したし、こうして書いている今も思案が続いている。この9年半ものあいだには、4000文字弱の範囲では書ききれない多くの出来事があった。先に書いたことはネガティブなことのように見えるかもしれないが、日本の市民運動、市民社会が成熟に達しない理由として、共有する必要がある。しかしながら、文字数が足らない。良いことも悪いことも、改めて、反原連の記録集としてなんらかの形で残す予定だ。
 
 
FUTURE 
 
今年の夏に「第6次エネルギー基本計画」が策定される。3.11以降の大まかな流れとして、事故当時の民主党政権は圧倒的世論に寄り添い脱原発に舵をきったが、安倍政権下で反故にされた。エネルギー基本計画において「原発は重要なベースロード電源」とし、福島原発事故から何も学ばず、原発推進に勤しんできた。安倍首相の寵愛を一身に受ける今井尚哉総理秘書官の意で、エネルギー政策を私物化してきたという経緯がある。コロナ災害下での難しい対応から逃げるように安倍政権が瓦解し、菅政権に移行したが、いま現在、与党内では原発推進派と脱原発派が拮抗している状況だ。
 
政権の一員であり、安倍政権下では脱原発について口を閉ざしていた河野太郎大臣が「総理になり脱原発を実現したい」と発信したり、河野氏とともに一般人気の高い小泉進次郎氏もそれに寄り添っている。いっぽうで、菅首相が2050年カーボンニュートラル宣言をしたばかりに、「CO2を排出する火力ではなく原発が必要だ」と、3.11前にそうだったように推進派の常套句が再燃してきており、自民党内の原発族議員などが声高になってきている。野党さえも、エネルギー問題と気候変動の部門を合体するような体たらく…。
 
CO2を減らし、空気をきれいにするのは結構だが、原発問題を据え置きにして良いものではない。原発は運転中も微量の放射能をまく上に、事故が起こればどれだけの環境破壊をするかは、チェルノブイリや福島原発の事故を見れば明らかではないか。原発問題を最優先するべき「環境問題」ととらえることのできない人類は、反知性の方向へ向かっているのではないかとさえ思える。自分の目で見て自分の頭で考え、いかに本質を見極めてゆくかが、コロナ後の社会での有機的かつ人道的な意識のパラダイムシフトには不可欠ではないのか。国会議員の皆さんにも「トレンド」や「受け」に流されることなく、本質的な視点で仕事をして頂きたい。
 
福島原発事故から丸10年、自公政権が原発を推進してゆく中でも、原発産業は先細ってはきている。しかし、なくならない。原発ムラの解体は大きな社会的変革に繋がるくらいなので、とどめをさすには反対運動の押しだけでは難しく、社会意識の大きな変容が必要なのかもしれない。しかし、先細りながらも、温存したいムラ人たちのアンフェアな努力は続いてくのだろう。では、微力な我々は何をすればよいのか。それぞれの暮らしの中で、できる限り誠実に暮らし、できる限り本質を見極め、他者を害したり陥れるような行為をしないということにつきるのではないだろうか。平和と安全な暮らしに繋がる全ての道は、そこが始まりなのではないだろうか。
 
2031年、今から10年後にはどうなっているのだろうか。反原連のことを忘れている人は大勢いるとしても、福島原発事故のことは忘れてはならない。今現在、放射能汚染で住めなくなった我が家に戻れない数万もの人々は、どうなっているのだろうか。彼らは数万のうちの1という数字ではなく、それぞれが唯一無二の人生の物語をもっているのだ。被災時に高齢だったかたの多くは、生々しい体験の記憶とともに亡くなり葬られるのだろうか。あるいは原発が廃止され、すっかり素敵な社会に生まれ変わり、今よりも不幸が少なくなっているのだろうか。
 
100年後に生きるまだ生まれ出でていない人々のために、安心安全で公正で不幸の少ない社会を作っていくことは、私たち大人の責任範囲だ。そのためには人類の行き過ぎた環境支配を改善し、これまで恩恵を受けてきた地球環境を尊重しながらともに進化していく道を探るべきだ。そのためにはまず、人類は、原発をはじめとした核物質を取り扱えるという愚かな奢りから脱却しなければならない。国際社会は原発問題を、一級の「環境問題」として最優先で取り組むべきなのではないのか。
 
 
NOW
 
最後に。これまで私たちの活動に賛同し、呼びかけに応え参加くださった皆さま、運営継続のためにドネーションのご協力をしてくださった皆さま、全国で連帯して金曜行動を実施されてきた皆さま、賛同し言論の場などでサポートくださった有識者や弁護士の皆さま、ともに歩んでくださった国会議員の皆さま、応援し手伝ってくださった皆さま、関わってくださった全ての皆さま、加えて、時に口論をしながらも官邸前・国会前の現場でお世話になった歴代の麹町署警備課長や警察官の皆さまに、心よりの感謝の意を表します。活動を通じ、心優しい皆さまと出会い関われたことは、大きな財産になりました。
心より、ありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 

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