NO NUKES PRESS web Vol.035(2020/11/26)

Posted on by on 11月 23rd, 2020 | NO NUKES PRESS web Vol.035(2020/11/26) はコメントを受け付けていません

NO NUKES PRESS web Vol.035(2020/11/26)
 
Opinion:原発事故から10年 ー 「福島のいま」
 
寄稿:武藤類子(福島原発告訴団・団長)
 
来年3月、福島第一原発事故から丸10年を迎えます。脱原発世論は安定的ですが、福島の現状は? チェルノブイリの原発事故を契機に福島で脱原発運動に携わってきた、武藤類子さんにご寄稿いただきました。
 

【NO NUKES PRESS web Vol.035(2020/11/26)】Opinion:原発事故から10年 ー 「福島のいま」原発事故から10年 ー 寄稿:武藤類子(福島原発告訴団・団長) http://coalitionagainstnukes.jp/?p=14384

 
 

原発事故からもうすぐ10年を迎える福島に、今年は新型コロナ感染拡大が加わり二つの「緊急事態」が重なった。2020年3月11日にはWHOが新型コロナのパンデミックを宣言した。その最中、3月20日には聖火リレーが日本に到着し、福島県内でも聖火を一目見ようと大勢の人が展示会場に詰めかけた。3月24日にようやくオリンピックの延期が決まったが、この聖火リレーとオリンピック開催騒ぎが、コロナの深刻さを覆い隠してしまったと言える。
 
「アンダーコントロール」という、安倍前首相の嘘から始まった東京オリンピックは、「復興五輪」と位置づけられ、復興を世界にアピールし、原発事故の社会的収束を図ろうとする意図があった。
     
私たちは2月29日と3月1日に、「福島はオリンピックどごでねぇ」という名前のアクションを行った。アクション名は、新聞に掲載された避難区域からの避難者のことば「すべて失い、先も見えない中でオリンピックどごでねぇ」から使わせてもらった。場所は聖火リレー出発予定地だったJヴィレッジと、野球・ソフトボールの予選が行われる予定だった福島市あづま運動公園。福島県内や県外各地から約50人が集まり、9ヶ国語のプラカードでアピールした。
 
Jヴィレッジとは、1997年、福島第一原発7・8号機増設計画を円滑に進めるため、東電が建設して福島県に寄付したものだ。原発事故の時には、福島原発に収束作業に行く作業員の拠点として東電に貸し出された。作業員が汚染された防護服を着替えたり、原発構内作業で汚染した車両の洗車が行われたりしていた。2018年、東電はJヴィレッジを除染し、福島県に返還したものだと思われていた。地元の広野町や楢葉町の小学生が、Jヴィレッジの芝生広場の芝の植え替えを行った。
 
環境NGOグリーンピースが、Jヴィレッジ駐車場付近の地表1メートルで毎時1.7μSvの場所があることを発見した。実は、Jヴィレッジは、福島県への返還時に、「除染」としてではなく、放射線の基準が毎時2.5μSv以下という除染よりも緩い基準の「現状回復工事」として行われたこと、作業員の放射線管理や教育がずさんであったことなどが、おしどりマコさん等ジャーナリストの取材で明らかになった。
 
市民団体ちくりん舎などが、聖火リレーコースと周辺の放射線量と土壌調査を行ったが、コース周辺にホットスポットがあり、追加除染の必要がある汚染エリアも多くあることがわかった。飯舘村のコース沿道の地上1メートルでは毎時0.85μSv、川俣町山木屋地区では毎時0.42μSv。コースを少し外れるとまだまだ高線量のエリアもあった。大熊町ではリレーコースから500メートルの地点で毎時2.21μSvのところもあった。リレー走者には、小・中学生が数人おり、延期にならなかったらこの放射線量の中を「福島の復興」を背負わされて彼らは走ったのだ。来年もまた福島はオリンピックどころではない。
 
福島の聖火リレーコース選定や運営事業に使われたお金は、約2億4000万円。ほぼ広告代理店の「電通」が随意契約を結んでいる。長野県の野池元基さんが、事業内容などの情報開示請求を福島県に行ったが、ほぼ黒塗りの状態であった。新型コロナ対応の持続化給付金で話題になった電通だが、福島の復興事業でも深く関わっている。例えば、タレントのTOKIOが起用された「食べて応援」などの風評被害払拭のCMや、福島在住の女性の、復興に向けた活動を紹介する雑誌の紙面、農林水産物安全・安心メディア発信研究会など、国や福島県と電通との契約は、2011年から2017年までの7年間で約240億円に及ぶ。
 
国と東電は福島原発敷地内のタンクに貯まったALPS処理汚染水について、「海洋放出が実現しやすい」との方針を出し、経産省は関係者の「ご意見を伺う場」を開き、意見の聴取を行っている。「ご意見を伺う場」では、福島県の第1次産業である農林水産業は明確に反対を示している。福島県漁連はもちろん、茨城県漁連や宮城県漁連も反対を表明し、全漁連は今年の総会で「断固反対」を決議した。福島県内43の市町村議会も反対・慎重の決議をし、国に意見書を送っている。「原発のない福島を!県民大集会」は、5ヶ月の間に40万筆以上の海洋放出反対の署名を集め、経産省に届けた。国連人権委員会の特別報告者たちからも日本政府に声明が送られている。しかし、菅政権は「最終的な判断をする時期だと思っている」と表明し、海洋放出を進める構えだ。事故によって発生した汚染水は、発生原因者の東電が管理保管を続けることが当然だと私は考える。なぜ海に廃棄することが許されるのかが全く理解できない。
 
計画されていた除染事業はほぼ終了したが、帰還困難区域、山林は未だ手つかずの状態だ。除染が終了したところでも、放射線量が原発事故前に戻っているわけではない。除染で発生した汚染土1400万㎥のうち、中間貯蔵施設へ搬送されたのは60%程だ。  
2015年頃から、環境省によって8000ベクレル/㎏以下の汚染土を再利用する計画が進められている。例えば飯舘村では、農地に汚染土を埋め覆土して、そこにバイオマスの燃料となる植物を植える実証事業が行われていたが、いつの間にか食用の野菜を育てる実験となり、さらに、覆土をせずに汚染土に直接野菜を植える実験までが計画されていることが、情報開示で明らかになった。
 
 
汚染した樹木を燃料とする木質バイオマス発電所建設が、田村市大越町、浪江町で始まり、飯舘村や伊達市でも計画されている。大越町では汚染のひどい木の皮は使用しない計画だったが、途中でそれも使うことに変更され、住民が裁判を起こしている。飯舘村では、最初から汚染木を使い森林除染を兼ねると謳っている。木質バイオマス発電所にはバグフィルターが装着されるが、微粒子となった放射性物質はフィルターを通り抜け周辺に拡散される。飯舘村の発電所を運営する会社の主要株主は、東京電力や東電子会社の東京パワーテクノロジーなどとなっている。事故の加害者がまたも利権を得ることになる。
 
今年9月にオープンした、「東日本大震災・原子力災害伝承館」について福島県は、展示内容を決める有識者会議の議事録を非公開としたり、被害を伝える語り部に、国や東電の批判を語る内容に含めないよう求めている。展示内容でも、国や東電の津波対策の不備や、メルトダウン隠しなどの情報発信のあり方などには触れられず、教訓が伝承されていないとの指摘がある。
 
「福島イノベーション・コースト構想」として、福島第一原発周辺地域に国際教育研究拠点の建設が計画されている。廃炉、ロボット、エネルギー、農林水産業、放射線安全・健康・リスクコミュニケーションの分野などを想定し、最先端の技術や新産業の創出を狙うのだそうだ。復興庁はこれを、アメリカワシントン州にあるハンフォード核施設の周辺地域をモデルにするとしている。ハンフォードは長崎原爆の材料のプルトニウムが精製された場所であり、冷戦下でも核開発が進められ、住民に意図的に放射性物質を拡散させる実験をし、コロンビア川へ大量の放射性物質を流出させ、地下埋設の放射性廃液漏れ事故を起こすなど、アメリカで一番汚染された場所と言われている。その後、環境浄化の企業や研究機関が集積し、周辺地域が著しく発展したために、産官学の連携による福島県浜通り(海岸地域)の失われた産業基盤の回復が実現するモデルにふさわしいとしている。
 
ハンフォード核施設のベッドタウンはリッチランドという町だが、その高校の校章は「きのこ雲」だ。高校の生徒や町の人はこの校章を「原爆が戦争を終わらせ、多くのアメリカ人の命を救った」ことの象徴として誇りにしている。ボンバーズという名前のバスケットボールチームや、アトミックバーガーという名の店がある。原子力礼賛の空気が今も漂う。原発事故前の福島の原発立地地域では、やはり東電を「東電さま」と呼ぶなどの原子力礼賛の傾向があった。原発事故によって「安全神話」が崩れ、大きな犠牲を払いながら、ようやく原子力の呪縛から解放されたにもかかわらず、そのハンフォードをモデルとすることや、国際教育研究拠点の事業内容が、再び原発被災地を原子力業界に依存した地域に仕立て、事故の被害の口封じにされるのではないかと危惧している。
 
東電元経営陣の刑事責任を追及して、強制起訴により開かれた刑事裁判では、多くの証言や証拠が元経営陣の犯罪性を明らかにしているにも関わらず、東京地裁判決は「全員無罪」。検察官役の指定弁護士が、「国の原子力行政に忖度した判決で、このまま確定することは著しく正義に反する」と述べたほどの不当な判決である。指定弁護士は控訴をし、東京高裁での控訴審が開かれるのを待っている状況だ。
 
この他にも、福島で行われてきた復興計画に伴う放射能への新たな安全神話の醸成、甲状腺がん検査の縮小論、放射線教育の後退、除染なしの避難解除などはすべて繋がっており、事故の被害を不可視化し、避難者を切り捨て、放射線防護を大幅に緩め、原発事故の責任を曖昧にし、原子力関連企業に再び利権を許し、その復活と存続を狙っている。その路線を「復興だ、夢だ、絆だ、振り向くな、前へすすめ」と被害者自身に担わせている残念さに言い表せない憤りを感じる。
 
でも、全国に福島を忘れず、福島とともに闘い続けて下さる大勢の仲間がいる。支えられ、励まされ続けた10年でもあった。
 
 
 
武藤類子 <プロフィール> 
1953年、福島県生まれ、在住。養護学校教員を務めながら、チェルノブイリ原発事故を機に86年頃から脱原発運動に携わる。2003年に里山喫茶「燦(きらら)」を開店し、環境にやさしい暮らしを提唱する。2011年9月19日、6万人が集まった「さようなら原発集会」でのスピーチで多くの人たちに感銘を与えた。現在、福島原発告訴団・団長などを務める。著書に『福島からあなたへ』(大月書店)。
 
 
 
 
 
 
 
 

« NO NUKES PRESS web Vol.036(2020/12/24)
★NO NUKES! ENERGY AUTONOMY! 反原発新年会2021 »