首都圏反原発連合:ステートメント 【3.11東京電力福島第一原発事故から14年・原発回帰をさせないために】

首都圏反原発連合:ステートメント【3.11東京電力福島第一原発事故から14年・原発回帰をさせないために】
 
 東日本大震災により引き起こされた、東京電力・福島第一原発事故から14年が経ちました。震災で生命を失った皆さまに哀悼の誠を捧げ、被害にあった皆さまには心よりのお見舞いを申し上げます。東日本大震災を更に過酷化したのは「原発事故」という人災を伴ったからですが、この事故も風化しつつあり、政府は原発事故がなかったかのように、今後、原発の活用を推進しようという計画を立てているのです。
 
 去る2月18日に閣議決定された「第7次エネルギー基本計画」(以下「エネ基」)において、顕著たる変化は「原発回帰」が明記されたことです。福島第一原発事故に鑑み事故以降は「原子力依存度の可能な限りの低減」とされていましたが、この文言は削除され「原発の最大限の活用」とされてしまいました。エネ基には法的な拘束力はないとはいえ、国のエネルギー政策の姿勢を示すものであり、原発事故を経験した国が作成するにはお粗末で無慈悲な内容です。
 
 エネ基では「原発回帰」のために、原発建設に対し「公的な信用補完の活用とともに、政府の信用力を活用した融資等を検討する」とされました。すなわち、建設にあたる投資額は巨額であるため民間金融機関が躊躇することを予測し、GX推進機構などの政府機関が債務保証を行うことを検討する、ということです。これは政府が原発推進に本格的に乗り出している、ということに他なりません。福島第一原発事故により未だに「原子力緊急事態宣言」下にあることを忘れた暴挙です。
 
 また、第6次エネ基に記述されていた「デジタル化によるエネルギー効率改善について」が削除され、代わりに「デジタル化による電力需要増加」が強調され繰り返し記載されています。その論拠は不明であり、まるで「電力需要が増加するから原発を増やさなければならない」と誘導するためのプロパガンダであるようにしか見えません。仮にデジタル化により電力需要が増加する可能性がある場合、省エネの目標などを明示すべきですが、抽象的な表現にとどまっています。
 
 数年前から「脱炭素」を旗印にし「原発はクリーンエネルギー」と定め、国は原発を活用する方向に向かっており、その姿勢が新しいエネ基にも反映されていますが、原発はクリーンエネルギーではありません。運転時のみCO2を排出しにくいだけで、放射能漏れがあった場合の環境や人体への害に鑑みると、安心して使えるクリーンなエネルギーではないことは一目瞭然です。ここにも国、いや、国際的なプロパガンダが存在していることに、多くの人に気づいていただきたいものです。
 
 原子力産業には様々な問題が山積していますが、その最もたるものは「核のゴミ」、すなわち核廃棄物の処分の問題です。世界的にもこれは難航しており、日本においては最終処分地の目処がまったく立っていない状況です。各原発サイト内の廃棄物は保管のキャパシティがマックスに近づいており、これ以上原発を稼働させることでゴミは更にたまり続けます。最終処分地が決まらないままの原発の稼働はあまりにも無責任であり、既得権益者への利益誘導としてもリスクがありすぎます。
 
 また、国防においても原発の乱立は国民の不安を掻き立てるものであり、政府は迎撃兵器で原発へのミサイル攻撃を防ぐと国会で言っていますが、そもそもそのような危険な標的になり得る施設を存続させるということが異常なのです。発電の方法は今や多岐に渡っており、原発以外の発電方法を推進していくことこそが国を守ることにつながります。核武装論と原発を繋いで考える政治家もいますが、世界は核兵器廃絶に舵を切るべきです。
 
 核と人類は共存できません。核の廃棄物はとてもやっかいなもので、子々孫々に生命に関わるほどの迷惑をかけることになります。20世紀の負の遺産である原発・核を廃絶していく、これが私たち大人が子どもたちに残すべき「責任範囲」ではないでしょうか?
 
 福島第一原発事故の教訓を後世に残し、原発のない21世紀の新しいエネルギー政策を作り出していきたい。脱炭素問題と原子力政策は切り分けて考えていくべきなのです。
 
2025年3月6日
首都圏反原発連合 – Metropolitan Coalition Against Nukes ‒